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昔の結婚とは意味が違ってきている今日この頃です。

完璧な親などいないので、人はほんの一部の人を除き、誰でも生育期の未処理の問題を抱えて生きています。その問題がなにであるか知ることもなく、それが自分を作っている大きな要素になっています。

人を愛するとは、そこに隠れている痛みを取り除いてあげることだと思います。

そこに隠れている痛みを見つけ出す根気は愛しているから発揮できます。本人には自覚がないので他者との差異で見つけていくしかありませんが、大した数の人間関係を結んでいないので、差異の発見もわかりずらいものです。

もし差異がわからずに結婚すると「離婚」に発展するのも容易です。これが現代ではたやすく不幸の連鎖になってしまうので怖い。

差異の比較的見つけやすい方法が「アサーティブであるか、どうか」です。積極的に自己主張ができるかどうかですが、その本体は「誠実、率直、対等、自己責任」です。

つまり、その人にとって親密になりたい重要な人との間で、誠実、率直、対等、自己責任が発揮できているかどうかなのです。親密になりたい重要ではない人との間のコミュニケーションは除外してみてください。これは参考になりません。

人は、成長過程で、温かい陽性のふれあいを受け取る学習をしていないと、その代 わりとして、歪んだ陰性のふれあいで、自分の存在を認めさせようとします。

温かい陽性のふれあいとは率直で直接的な愛情や承認です。 陰性のふれあいとは、屈折した表現による愛情や承認です。

自然な愛情を表現できない人が家庭を持ち親になった場合、からかう、けなす、遠 回し、反動形成、二重拘束、暴力虐待などの行動が直接的な愛情や承認より優先す ることが少なくありません。

そうすると、子どもの側も素直に甘えることができなくなり、愛情欲求を、反動形 成、遠慮する、すねる、ひねくれる、ひがむ、こだわる、試すなど、遠回しで屈折 した形で表現する癖を身につけてしまいます。

好き避け、ツンデレもその代表的事 例です。親密な関係にある人、あるいはなりたい人との間で、屈折 した形で表現するようになります。

子どもは、こうした歪んだ行為によって相手に不愉快な感情を与えますが、それで もまったく無視されるよりはマシと思い、陰性のふれあいを繰り返します。この陰 性のふれあいとは「気をひく(注目させる)」ことが中心です。

代表的な事例が「キッチンドリンカー」です。困らせることでふれあい求めているのですが、そこに温かいふれあいに対する希求があるとは、相手にとっても分かりづらいので、誤解の元になります。当の本人も自分の ことを誤解しています。

この事例のように、誠実、率直、対等、自己責任でコミュニケーションができるかどうかで生育期の未処理の問題の有無を感じとり、そこに隠れている痛みを発見し、癒し、修復し、再生するのです。

これでお分かりだと思いますが、いわゆるツンデレ、好き避けには、この要素はひとつも発見できません。かなり危うい人だと分かりますが、現代の風潮では、時に可愛いと歓迎されます。

社会の最前線がかなりいい加減だと言い換えることができますが、いい加減な最前線の傷つきやすい状況で傷ついた者が生きていくことはますますアサーティブであることから遠のき、そのネガティブは子どもに引き継がれます。

これに待ったをかけて、救いの手を差し伸べるのが「愛する」ことです。

貧困の定義が変容した現代では「ありのままのあなた」を地球デビューさせてあげること、愛する人を呪縛から解放することこそ、一緒に暮らす目的のひとつです。お互いの育てなおしが共に暮らす上での重要になります。

結婚とは、そのために自分を捧げることであり、結婚式とは、その宣戦布告だと言えます。

好きだから一緒に暮したいというのは単なる表象。好きだから「愛するとはなにか」「幸せとはなにか」を初め、生きる上で大事な課題が全部関わってきます。それらを共有するために恋愛期間があります。そんな難しいもんか?そうや、そんな難しいもんや。人ほどややこしいもんはおらんからな。

人は本来、自由。その自由が奪われた人の人間関係の仕方が、ノンアサーティブなのです。誠実、率直、対等、自己責任のないコミュニケーション、その代表がツンデレなのです。

自由を取り戻すことこそ究極の生きる目的なのです。

現実はなにからなにまで上っ面、嘘まみれ。人はかたつむり同様になにかを抱えて生きているのを知らずして暮しているので愛は続かない。そこに慈しみはありません。

「愛している」という人が、なにを背負ってそう言っているのか、それがわかる人でいてほしいと思います。

katatumuri