人は無邪気なこどもが基本です。

 

「児童虐待」の迫害者が全員、口を揃えて言うのが、「うるさい」「言うことを聞かない」です。

 

しかしこの大人の意識に同情の余地はありません。なぜなら子どもはそういうものなのです。

自分たちが子どもを生み育てるということは、それが前提です。

連れ子であっても、同棲であっても、その環境を受け入れることが前提なのです。

 

よくお店で走り回っている子どもを叱っている親がいます。居合わせた他の人々への申し訳で叱っておられるのですが、そういう場に連れてくるのが間違いで、子どもにしたらいい迷惑なのです。

 

このような体験を繰り返し子どもは「無邪気であることは悪」とインプットされ、従順さを増していきます。(親の対応で適正からやりすぎ、放置と差はあります)

 

そのプロセスで学ぶのは「抑圧」です。言い方を変えれば「偽りの自分」づくりに成功するのです。これに成功した人は、あとあと苦労します。

 

なにごとも成果、結果で評価されようとします。

評価されるためには、なにかをしないといけないと思います。

 

できない自分はダメ人間だと思ってしまいます。

なにかするたびに結果を想像しただけで疲労を感じます。

 

行動する前に疲れてしまい、やる気が起りません。

その上、仕事だの人間関係だの、いろんな出来事があって、すでに疲れている身を維持するのに大変で、あれもしなければ、これもしなければと追いつめられた気がします。

 

そうすると、いっぱい時間があっても、なにもする気がせず、くだらない番組しか放送していなくてもテレビの前に寝転んで、社会と繋がっている気がします。

 

このパターンの過ちの元はどこでしょう?

 

「偽りの自分」づくりに成功したことです。

なにごとも成果、結果で評価されようとしたことに成功してしまったのです。

 

その結果、過去と未来しかない自分になってしまったのです。

 

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<Do~ する>

 

過去の体験をもとに自分にできることを想像して<Do~ する>を繰り返す自分を創ってしまったのです。実際は過去の延長ではないのですが、過去に囚われているので習慣が変えられないのです。

 

過去=できなかった

未来=できそうにない

判断=したくない(しなければならない)

結果=しなかった(できなかった)

意識=罪悪感、自分はダメな人間

 

 

<Be~ある>

 

在り方はすでにあります。

「こうでなければならない」は在り方のようですが、実は<Do~ する>なのです。

つまり「こうあるようにする」のが「こうでなければならない」ということに他なりません。

「経営理念」の大半がおかしいというのもその理由からです。

 

在り方はすでにあるとは、「こうでなければならない」ではないことは分かりますね。

「ある」のだから「でなければならない」なんていうことにはならないのです。

 

<在り方>はもう<ある>のです。だから英語の<Be>で表現しています。

無邪気な子どもはあるがままです。あるがままの自分の指示で動いているだけです。

 

ただこれだけだと困ったことになります。

みんながそうすると、秩序がなくなり混乱するので大人の社会は法整備されています。

信号のない交差点にいる状態になります。

 

しかしただ抑圧しなさいと言ってるのではありません。みんなが安全に迅速に行きたい所に行けるように信号があるように、行きたいように行っていいのです。そのための法です。

 

あなたがそうであるように他者もそうだから、お互いを尊重して暮らしていきましょうという考えに則って整備されています。

これを親は正確に子どもに教えてこなかったので、あなたも勘違いしたのです。

 

「こうありたい」と思うなら、すでに「ある」のです。

しかし、「こうありたい」は願望です。「ある」は手にした状態。

このニュアンスの違いで、あなたは戸惑い、わけが分からなくなります。

禅問答のように感じます。

 

実は「こうありたい」も「ある」も同じなのです。

「ない」のであれば「こうありたい」とは思えないのです。

だから<在り方>なのです。

「ある」から「ある」方向に進んで行ける。

「ある」から「ありたい」と思うのです。

 

しかし、「ありたい」けど「ない」状態にもなります。

「ありたい」が願望に成り下がるのは、この「ない」時です。

 

つまり、「ある」はいまこの瞬間にだけに「あり」、いまこの瞬間に意識できていなければ、「ない」のです。

 

だから「こうありたい」と思うなら、すでに「ある」というわけです。

 

  • 食べ物を大事にしたいと思うのは<Be~在り方>です。

 

  • 食べ物を大事にするのは<Do~する> です。

 

あるがままに生きるとは、この両方が繋がっているときです。

 

毎日弁当を作りたいと思うのは<Be~在り方>です。

弁当を作れないのは<Do~する> です。

 

<Be~在り方>が<Do~する>できないとストレスになります。

子どもが走りたいのに、座らされているのもストレスです。

  • 大人になったいま、あなたが自分の意志に背く指示を出しているのストレスになっているのです。
  • あるいは行動はありのままなのに、行動に反する意志を持てと指示しているのもストレスです。
  • 甘やかしている場合もあります。ストーカーはその典型です。

本来自分が引き受ける責任を引き受けないので、他者がストレスを感じています。

自分を尊重するのはいいですが他者を尊重していません。

自分の出したゴミを他者に始末させようとするのと同じです。

 

 

過去と未来しかない自分は、成果で評価をする習慣を自分がもってしまったのが原因です。

 

いまがないのは、

 

「ある」はいまこの瞬間にだけ、あり、いまこの瞬間に意識できていなければ、「ない」ことと深い因果関係があります。

 

いまこの瞬間、<在り方>がなく、成果を<出す>ことに過剰に専念しているからです。

 

つまり外面を気にしすぎているのです。

 

主体性のない偽りの自分を支えるのに疲れて、その癒しを他者に求めるのには無理があります。

 

癒しは<主体性>を取り戻せば自然に叶います。

他に依存して<主体性>のない暮らしを望めば望むほど疲労し傷つきます。

 

 

ありのままの自分になることが苦しいはずはありません。

<主体性>を取り戻すことが大変なことだと思うなら、まだこの話しが理解できていないことに他なりません。