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人は在り方だけでは暮らしていけません。

 

ご飯を炊いたり、お風呂に入ったり、仕事をしたりと。。。。簡単なことから難易度の高いことまで様々なことをして<する>必要があります。

 

<する>にはレベルがあり、これが繰り返し述べるように煩悩の原因にもなっています。

 

<在り方>は自然に自分の内側に起こるもので、こうありたいと思うし、こうでなければとも思います。

 

しかし「親を大事にしたい」と「親を大事にしなければいけない」とには随分と開きがあり、「しなければいけない」は<Do~する>の領域に入ってしまい<Be~在り方>ではなくなってしまいます。

 

<Be~在り方>とはこうしたいという想いです。

 

ところが、私たちが苦しむのは<Be~在り方>と<Do~する>のギャップです。思っているけど、できない現実です。

 

そのギャップが、自己否定感になり、自分で自分が信頼できないので、他者とのコミュニケーションにも障害が生じます。他者の評価を重要視してしまうのです。

 

<Be~在り方>と<Do~する>が一致すれば問題ありませんが、ではどうすれば解決できるのでしょう。

 

 

 

たとえば愛について考えてみましょう。

 

 

人を愛するとは、想いだと思い込んでいる人が大半です。そうではありませんね、<愛する>とは<Do~する>こと、行動です。

 

愛に対する<Be~在り方>としてまず「愛したい」、「大事にしたい」、「アサーティブ(率直、誠実、対等、自己責任)でありたい」があり、想いが高まって<Do~愛する>にステップしていくのです。

 

「自分は生涯かけて妻を愛したい」というのは想いです。

しかし「自分は生涯かけて妻を愛したい」想いはあったけど「妻が何も返さないので、いまは愛することはできなくなった」というようなことが現実に起こります。

 

この状態では主体性は自分になく、「妻のせいでこうなった」とは<妻が主体である>と言ってるのと同じなのです。

 

 

「自分は生涯かけて妻を愛したい」というのは想いはなんだったのでしょう。この言い方では自分に主体があります。

ところが実際には妻に反応していただけなのに、愛と勘違いしていなかったか?

元々あったという愛は最初からなく、ただ妻が自分に喜びを与えてくれていたから、愛していると錯覚しただけなのです。心変わりではないのです。

相手の感情を取り込んで、すでに「境界」侵犯が起こっていたのです。

 

自分に主体性があるなら、「自分は生涯かけて妻を愛したい」を実行すればいいのです。それは相手に問題があるからだと思うかも知れません。しかしそうでしょうか?自分に主体性があれば、このような結果になることなく反応的な感情と行動は起こらないのです。我慢を続けることもありません。

 

残念ながら恋愛と結婚は違います。恋愛(交際)期間は伴侶としてふさわしいかどうか確認する時期です。もともと主体性を持たずに交際するだけなら意味がないのです。私たちの回りには誤解を生むものが溢れすぎています。歌、映画、小説、雑誌、ファッションなど商業的なものが真実を覆い隠し惑わせます。自分を守った上で、楽しむことができる主体的で適切な判断を下せるライフスキルを身につけたいものです。

 

彼、彼女たちの失敗は、<Be~在り方>が定まらないまま、流れている感情に反応して結婚したことなのです。

だから<妻を愛したい>は簡単に<妻を愛せない>に変わったのです。<Do~する>は容易に頓挫してしまったのです。心がないのにあると思い込んだのです。思い込んだ理由は、お互いに自分もそうだからです。

 

最近は起業しても3年持たないケースが続出して、税理士事務所を倒産に追い込んでいます。

 

ここにも愛の心変わりと同じ仕組みが働いています。愛に限らず、やる気を行動にステップしていく上でなにが必要なのでしょう。

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