PDCA

PDCAは本当に難しいのか?

「PDCAの大切さはわかっているけど、うまくいかないんだよね」と語る方は少なくありません。

なかには「何度やっても同じ課題に戻ってくる」と嘆かれる方も。

 「PDCAなんて、凡人には無理だよ」とたしなめるように言う人もいます。

PDCAは本当に無理なのでしょうか?

 

うまくいかない「たったひとつの理由」

PDCAができない原因は「たったひとつ」です。

すべての人を苦しめるたったひとつの問題・・・それは恐怖。

恐怖の実体は「不安」と「孤独」です。

言い換えると「見捨てられる恐怖」。

 

「不安」と「孤独」・・・「見捨てられる恐怖」に打ち勝つ方法としてイメージしやすいのはお金と健康です。

しかし、なれた人は、それでは無理だと言います。

克服する方法は、今日を大切に生きるしかないと言います。

 

今日を大切に生きていても、夢が叶うわけではありません。

しかし、夢を叶えるには、今日を大切に生きるしかないのも事実です。

 

夢を叶える、PDCAを回す力は、
どうやら「大切」という曖昧なキーワードに潜んでいるようです。

大切という言葉には曖昧ですが、丁寧に、慎重に、と言った意味が含まれています。

ガラスの器をある場所に移動したいと思ったら、丁寧に、慎重に運びます。
落とすと割れてしまうからです。

ガラスが簡単に割れないのは、みんなが注意して取り扱っているからです。

ガラスはともかく夢が叶わない現実は「大切」が上辺だけになり、乱暴に扱っていても気がつかないからではないしょうか?

PDCA


「最初からうまくいくはずがない。失敗してもいいからやったらいい。」

よく聞く言葉です。

本当にそうでしょうか?

 

自分なら、こういう人を信用しません。
「で、失敗したら、どうしたらいいの?」と聞き返すと、「また、やったらいい」と返してきます。

失敗はタダではありません。コスト(時間と費用)がかかります。

そうこうしている間に、資源を失っていき、「不安」と「孤独」が募っていきます。

 

どんなに準備しても、ミスが潜んでいるものです。

「最初からうまくいくはずがない。失敗してもいいからやったらいい。」の失敗とは、微調整に次ぐ微調整をさしているのではないでしょうか。

自分を誇示するように乱暴に吐かれた耳学問で覚えた言葉は空虚です。

 

大切にとは、準備をした上で、それでも万が一に備えて、有事の対策も念入りに計画し、その上で万が一が起こらないようにきめ細やかな対策を講じて、練りに練ったプランを実行する。

しかし、その基準が原理原則を度外視した「自分にやりやすい方法」だったら根拠のない我流になります。

 

やりやすい方法

人は得手不得手があります。
だから「自分がやりやすい方法」は賢い選択だと思います。
しかし、原理原則が遵守されないと「やりやすい方法」はやりにくい方法に豹変します。

 

その区別がつかいない人がいます。
知らず知らず、ハマってしまう落とし穴です。

 

「やりやすい」からと、ガラスの容器を壁に投げたら割れます。

やりにくくても、壁に投げずにそっと運ばないといけません。

もし自分にそれができないなら誰かに頼むとか「やりやすい方法」を探し出すのが、「自分にやりやすい方法」だと思います。

慌てると、そこまで準備するのを忘れてしまいます。
自分に資源がないと勘違いしてしまいます。
「不安」と「孤独」が強くなるとますます慌てるので、負のスパイラルにハマってしまい、「ああ、自分には無理だ」とお手上げ状態になってしまいます。

実は誰でもそうなんです。叶えたいことがあると、まず落ち着いて息を深く吸い込んで文字でも絵でも写真でもなんでもいいから、イメージを紙に書き出しましょう。

そこに辿り着く方法を逆算で計画します。計画が出来たら、それを妨げる障害を全部書き出しましょう。障害が発生した場合の対策と、障害が起こらないように未然に防ぐ対策を立てましょう。それら全部がプランです。

誤解しないでください。完璧さを求めているわけではなく、当たり前のことです。
完璧でないから「障害」が発生する、
だから発生しないようにできることはやるというだけのことです。

 

出すだけ出して、もうないとスッカラカンになったら、宣言です。準備ができていたら、自分の内側に自信がみなぎってきます。「見捨てられる」恐怖も何処かに消えていきます。
いまこの瞬間を生きる楽しさを意識することもなく没頭しているはずです。

没頭しているとPDCAは自然に回ります。

PDCA

 

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