PDCA

PDCAはマネジメントの基本です。なのにPDCAは難しいと言う人が多いのはなぜでしょう。
マネジャーにすぐになれないのは、PDCAを身につける期間とPDCAを学ぶ時間をとっているためだと言っても過言ではないのですが、PDCAを意識せずに過ごせば身につきません。これは指導する側の問題です。

計画を立てるがPDCAの始まりですが、計画を曖昧に立てる人がいます。やってから慌てることになりますが計画を立てる習慣がないので、「やってるんですが、わかりません」という人が多いのです、

上司に対して、計画がさもありそうな口ぶりでごまかしますが、実際にはないに等しいので、部下を前にして決意表明ができません。したところで「がんばってやるぞ、死んでも達成だ!!」の精神論です。叱咤激励すればどうにかなるのだと思っているようです。これではゴールから計画を立てることができないので「八甲田山死の彷徨」状態になります。

やってみなければ分からない部分があるのは事実です。それをネガティブな要素を探して、対策を予め練って準備しておくと「やってみなければ分からない」はぐんと減ります。

それでも残った部分が「ACTION」で再計画となるのです。

そもそもなぜPDCAと言いながらPLANを曖昧にするのでしょう?計画したって計画通りにならないと思い込んでいるからです。

計画するときに、どのような計画なら実行できるかと考えすぎるのです。計画と数値雨目標が乖離してしまうのです。そこで適当な辻褄合わせをしようとしますが、ますます実行できそうにないと思うので、ちゃらんぽらんにになって、精神論に入ってしまうのです。

このようになる原因は「やり方を変えずに数値目標を達成しようとする」からです。やり方を変えたくないのです。

これを防ぐために「ゴールから計画を立てる」ようにしましょうと繰り返し言ってるのですが、「ゴールから計画を立てる」が理解できないのです。

分からないのではなく、分かりたくないのです。やり方を変えるのが大変なことだと思い込んでいるのです。

そこでPLANについて言及すると「みんな私が悪いのです」というこれまた精神な責任論に行ってしまいます。

自分は「八甲田山」と「二百三高地」という2つの映画をみればマネジメントの基礎はわかるといってます。
なぜいいのかというと、事実に基づいた2つの作品には「名誉が現実より優先されてると悲劇になり、現実を分析して理に叶ったことをすれば成功する」と共通点があります。

精神な責任論の顛末が「二百三高地」で描かれています。

二百三高地

二百三高地

二百三高地を陥落できないまま多大な戦死者を出し申し訳ない、自ら先頭に立って突撃するという乃木希典(陸軍大将)さんに児玉源太郎(満州軍総参謀長)が言い放ちます。「プライドの問題ではない、この戦争に勝つために作戦変更が先だ」と一蹴します。「いくら謝罪してもらっても戦争に負けたら国が滅びる」というわけです。次元が違うのです。

PDCAは「やってダメなら計画の変更をしなさい」が折り込み済みの仕組みです。やってダメなら計画は変わっても良いのです。計画変更を重圧だと思わずにどんどん変えればいいのです。

やり方を変えるとは、「もっと頑張れ」という意味ではありません。「合理的にやればもっと楽ができて結果もついてくる。」という意味です。

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