愛

ライフスキルが働いていると、誠実、率直、対等、自己責任を心の柱にして自他ともにコミュニケーションができます。

自分を尊重するのと同じように他者も尊重したいと思います。それが自分のあり方だからです。
他者から命令されたり、指示されるわけではなく、自分の意思で、そうするのです。

そうすることでライフスキルはさらに磨かれ、育まれ。成長していきます。

境界の大切さ

人と人の間にある「境界」は目には見えない、立入禁止の領域を示すものです。

境界の向こう側とこちら側には、互いに自分の世界があり、各々の「人格」があり、尊重される権利があります。 白雪姫は七人の小人たちとの関係を対等にしました。小人たちの家に住まわせてもらう代わりに家事を引き受けました。白雪姫は親しくても依存せずに対等な関係を大切にしたのです。

境界の大切さは、恋愛が持っている人を高揚させる力に発見できます。

どれほど、誰よりも、恋い焦がれても、自分に価値観があり、意志があるように、恋する 相手にも自分の価値観があり、意志があり、判断があります。 相手が誰を選ぶかは相手自身に許された権利です。

自信のある人は、どれほど深く恋しても、愛しても、相手(他者)を思い通りにコントロールできないし、 してはいけないものだと知っています。

自分を信じるように他者も信じることができるからです。理解し、尊重し、同じ気持ちを共有できるからです。

それゆえ、恋した異性が自分の思い通りにならないことに悩み苦しみます。

恋愛の至福とは、誰からも強制されることもなく、頼まれたからでもなく、相手が自分の ことを想ってくれる主体性、自主性にあります。 それを抜きにして、恋愛の喜びはありません。

境界の向こうから、境界のこちらを見つめてくれることの感動。

昔から権力や財産を持ってしても思い通りにならない精神の高貴さによって、特別な価値 を持ちました。

もし相手の尊厳を踏みにじって、相手の関心を得ても、そこに価値もなく無意味で、 嫌悪感が残るだけです。

私はあなたのもの、あなたは私のものという感覚に恍惚とするのも、境界があるからで す。
厳然と境界によって人間の尊厳を守っているからこそ恋愛の輝きがあるのです。

ストーキングは境界を無視した行為です。
境界を越えてしまうと、個別の価値観を失い、相手の主体性を無視します。
関係から急速に 輝きは失われます。

「主体性のないわたし」と「主体性のないあなた」・・・そこには、すでに、あなたはいなく、わたしもいない抜け殻だけです。

境界を超えると相手の主体性、自主性を奪 うだけでなく、自分をも喪失するのです。

自分の主体性、自主性を放棄するのと同じです。自分の主体性を放棄して関心を得るの は、ワイロのようなものです。
相手との関係性で、相手にされても許可してしまうことを、自分がコントロールできる相 手には自分がしてしまうようになります。

自分より立場が強いか弱いかでされる側、する 側に変わるのです。

引け目を感じる一方で、傍若無人な振る舞いという両極端が起こります。
「親しき仲にも礼儀あり」を逸脱した行為には、人権無視の危険が絶えずあります。
親し みがあるゆえに、罪の意識が欠如した傍若無人な振る舞いの背景には甘えと信頼があるの で、時には愛情表現だと思っている場合があります。

自分と相手の間に、しっかりした境界がなく、安心と不安の二者択一で行動が変わってい るのです。
率直、誠実、対等、自己責任から遠く離れて上か下か、強いか弱いか、白か黒か、イエス かノーか、競争的で両極端な発想です。

しかし、世の中の実際は、上でも下でもなく、強くも弱くもなく、白でも黒でもない場合 が大半です。
このため、グレーゾーンの交際では、どう対処していいのか、判りにくいので苦手にし て、コツコツ積み上げて行く関係を避けてしまいます。人間関係に難しさを感じます。

その背景には、処理されていない「万能感」があります。
万能感は完璧主義の動機であって、成人になっても残っている幼児性ともいえます。 (「白か黒か」「万能感」については別の機会に説明します。)

 

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