禁止令「楽しむな」に潜む「できない」「やりたくない」を書き換える

授戒会(じゅかいえ) 授戒会

禁止令からはじまる負の連鎖

 

①禁止令=〜であるな

①禁止令は、養育者から幼児に投げ込まれます。

それが、本当に「禁止令」であったか、どうかは定かではありません。

真実がどうあれ、幼児が受け取った事実が生涯に影響します。

②抑圧=安全・安心のために我慢する

②幼児は養育者なしに生きていけないので、なにより「安心・安全」を優先します。

すでにスキンシップで感じ取るスキルをもっているので、スキンシップで「安心・安全」を求めます。

親のスキルが、重要です。事実がどうあれ、感じ取ってフィードバックする力がないと幼児は誤解します。

どうあれ、幼児は「安心・安全」を求めて、自分を抑圧します。

③本当の自分、本当の願望を抑える=安全・安心のために隠す

③本当の自分を抑圧します。

④生きるために「人間関係の仕方」を学ぶ

こうして人間関係の仕方を学びます。

自分はNO、他者はOKの構えを身につけると悲劇です。

⑤ラケット=「怒らせても愛されたい」隠しきれない自分の願望

だからといって、幼児は自分を完全になくすことはありません。

⑤ラケットを使い、困らせます。困らせても構ってもらいたいのです。

ラケットとは、いまここに不釣り合いな態度・表情・言葉です。
ラケットを向けられた相手は、なんとなく罪悪感を持ち、胸を痛めます。

胸を痛めるように工夫しているので、辛くなります。

「怒らせても愛されたい」というのは、年齢問わず、抑圧している人間がとるスタイルです。

彼女が彼の愛を確かめるもっともシンプルな態度は「私のこと、愛してる?」と聞けばすむことです。

でも、相手に言いにくい、信用できないと思うと、複雑になってしまいます。

関係のない人と、親しげに仲良くしている場面を見せ付けたりして、様子を伺います。

彼女を心から愛してる男性にしたら、腹が立ちます。

このように怒らせても、確かめたい心理は、いまここに不釣り合いな態度・表情・言葉として顕れます。

⑥人生脚本=隠された人生の目的

しかし、このスタイルは、抑圧している部分があるので「天邪鬼」になってしまいます。
続くと、関係はほぼ100%こじれます。

こじれると、身につけた人間関係の仕方を身をもって知ることになります。

 

つまり、これが本人にも意識できていない人生脚本の目的(クライマックス)になっているのです。

人生脚本とは、3%の顕在意識と97%の潜在意識の葛藤

潜在意識と顕在意識のズレ

人生脚本は、年齢を重ねるほど明確になって来ます。

自動思考が年齢に比例して増えていくので、むき出しになってきます。

自分で明らかにしていくのは、不思議ですが、抑えていた「煩悩」の蓋がとれたように明らかになります。

人生脚本の書き直し=授戒会(じゅかいえ)

授戒会(じゅかいえ)

社団法人いきいきゴエス協会では、人生脚本の書き直しをオススメしています。

その方法は、「授戒会」です。

 

人を形容する言葉はたくさんあります。
成功者、優しい、たくましい、働き者、頑張り屋さん。。。。いろいろありますね。
あなたにふさわしい人生脚本はどんなクライマックスでしょうか。

どんな風に形容してもらいたいですか?

人は亡くなると、日本人の場合、戒名をつけていただきます。
戒名は、それに通じていますが、無頓着にお坊さまに任せていませんか?

戒名にはルール(形式)があります。

rure

院号3文字、道号2文字、法号2文字、位号2文字です。

院号・ 釋号(しゃくごう)・名号・位号という場合もあり、宗派で呼び方は違いますが、これらの場合道号、名号が自在になっています。

それに則ってつけていただいていますが、お坊さんと日常的に交流がない場合、お坊さまはその人を知らずに戒名をルール(形式)だけでつけます。

そもそも戒名は出家した人につけるものですが、一般人には無縁なものです。

なのに一般人が、なぜつけるようになったのかはさておき、戒名には「なりたい自分像」をつけるのが本来なのです。
その上で戒名を実現するように頑張るのです。

つまり生きている時につけるものです。

自分なら「素敵な人でしたね」と言われたい。
だから日常から、そう言っていただけるように心がける。

この世は思い通りになりませんが、やった通りにはなります。
それだって志半ば」ということにもなりかねませんが、志は遺るものです。

それを見ていた人は、かならずそれを受けとめて語ってくださるでしょう。

そのためにも生きている間に(成人したときにでも)戒名をつけることをおすすめします。

そのタイミングに人生脚本を書き直したときに、人生脚本にふさわしい戒名をつけるのです、

戒名をつける会が「授戒会」(じゅかいえ)です。

そして「戒名」を目標にした毎日を過ごしていただきたいと思います。
 

 

楽しんでやる

禁止令解除

 

「楽しむな」と禁止令が出されているなら、大いに楽しむことで、禁止令を解く。

「授戒会」なんて、バカげていると感じるなら、バカになってみる。

「楽しむ」とは、そういうことではないでしょうか。

 

ある男性は、愛する人との間で、射精がができずに悩んでいました。

さほど、好きでもない人となら、問題なくできたのですが、本当に愛する人のと間では何度試みても無理でした。

愛するあまり、大切にしたい気持ちが募って自然体になれなかったようです。

本当は楽しみたいのに、身体に脳がブレーキをかけてしまうのです。

想いは大切ですが、本来はフィジカルなはずです。

身体を通して想いが伝わるはずです。

ブレーキをかけないようにするために、男性は脳に対して「射精していい」と楽しむ命令を出し続けました。

やがて、ぎこちない状態が数回続いた後、ごく普通に射精ができるようになりました。

「できない」ということはない

神経症レベルの方にとっては、よほどの事情がない限り、「できない」ということはないのです。

すべてが環境のせいで、自分はその犠牲者だ、という受身的な態度がチャレンジすることで、「できない」

のではなく「しない」「したくない」ことに気づくように心がけます。

ときには、介入することもありますが、「できない」裏側に「実行してはいけない」という禁止令が働いているかもしれません。

  • ママを怒らせるんじゃありません。
  • あの子は私をがっかりさせるようなことばかりするのです。
  • あいつったら、いつも、本当に肢が立つ

それで、私はこんなになってしまったのです。

 

こうして、自分の意志に基づく表現に言い直してみます。

 

  • 私がイライラして怒っているのです。
  • 私が期待しすぎて、思ったように行かないので滋肥したのです。
  • 脱が立つのではなく、弘が一人で怒っているのだ

こうなったのは私のやり方がわるいからだ、

まとめ

「できない」ではなく「しない」「やりたくない」

そこに間違った罪悪感が植えつけられています。

脳は身体に「してはいけない」という禁止令を投げかけています。

身体にメッセージを投げ込むと、身体は反応します。

「坐禅」「瞑想」で改善できるのは、奇妙に感じるかも知れませんが、身体は想像以上に神秘的なのです。

 

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