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英語の表現にDon’t be あるいはDon’t exlist live があります。
究極の禁止令「存在するな」です。
死にたいと思ったり、どこかへ消えてしまいたいと感じたり、引きこもり症状を示す裏には、この禁止令が存在しています。
最近、起こる、高齢者の事故にも言えます。偶然のように見えますが、人生脚本の総仕上(ゴール)です。
人は、どのようにしてネガティブな人生脚本のゴールに疾走するのか?その謎を解明します。
禁止令のメカニズム
ほとんどの禁止令は主に、子どもながらに下した苦渋の決断と言っていいでしょう。
もっと悪い状況にならないように下した判断ですね。
禁止令は1.5歳までの赤ちゃんのころにほとんど身につけると言われています。
基本的な構えが出来上がってしまうといったほうが正しいのでしょう。
禁止令の受けとめ方を構成しているのは、次の3つですが、
『①子どもの気質+②養育者からの刺激+③子ども自身の決断=④禁止令の受けとめ方(人間関係の仕方)』になります。
この構成の上に新しい情報が5歳まで続き、「パーソリティ(人格)」を形成しています。
赤ちゃんはスキンシップで、「自分を何者か」をマスターしている
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赤ちゃんは、お母さんが愛情を持って接してくれないのを、スキンシップで身につけています。
スキンシップで覚えた人間関係の仕方で、学校教育などの後天的な知識、知恵を学んでいきます。
潜在意識の上に顕在意識がのっかかる状態です。
おもしろいことに、坐禅では、説法を「皮膚で聞け」といいます。
迫力がありますね。自分の心を生かすか、殺すかの戦争です。
三つの心、五つの心、私の心
人には、三つの心があります。
厳密には5つになります。
- Parent(親的な自我状態)
- Adult(大人的な自我状態)
- Child(子ども的な自我状態)
- 厳密な親の心
- 保護的な母の心
- 大人の心
- 従順な子どもの心
- 無邪気な子どもの心
見せかけのやる気が充満した会社は、従順な子どもの集合体だった
ひとつの結論からいうと、
組織(会社)の風土を決定づけているのは、組織に従属する人の心が、バランス良く集まってい補完しあっているのは稀で、ほとんどの場合、偏っています。
従順な子どもの心が突出した人ばかりが集まっている会社では、「チャレンジ精神」が見られず、指示で動く人が主体でした、
指示で動くというと、聞こえがいいかも知れませんが、「見せかけのやる気」が支配的な空気でした。
ブッダが戦った阿頼耶識からの自由は、禁止令から解放だ
人には禁止令が働いています。
お釈迦様が発見された潜在意識にある「阿頼耶識」です。
幼児~5歳まで、思い込んでしまうので、「自分の考え」としてもっているのではなく、感覚として身につけてしまっています。
お釈迦様は、これを「八識」と表現されました。
現代社会で「五感」というものが、「八識」の5つで、自覚できるものです。
つまり顕在意識にあります。五感に意識を加えたものが、顕在意識です。
残る2つが、潜在意識にある末那識(まなしき) 阿頼耶識(あらやしき)です。
禁止令は、記憶はここにありますが、潜在意識になので、意識できません。
阿頼耶識(あらやしき)は根本心ともいわれています。
人間が自分の思うように生きていけない原因になっています。
アクセルとブレーキを同時に踏み込んだら、事故になりますね、
そうさせているのは、末那識(まなしき) 阿頼耶識(あらやしき)です。
ここに養育者の三つの心から発信された「禁止令」に対して子どもが受け取った判断(思い込み)が潜んでいます。
養育者の言葉をどう受け取るか、子どもの資質が深く関わってきます。
自分の人生の目的はクライマックスで解る
人が人生の終盤で見せるクライマックス。
そこに人それぞれの人生の目的があります。
「存在するな」は人生初期に受け取ってメッセージですが、それを一生かけて実現するのが、人生の目的だったと終盤になって知るのです。
終盤に見せるクライマックスは禁止令と点と線でつながっています。
私たちの暮らす世界は「原因=結果」で結ばれています。いわゆる因果です。
因果は自分の内だけで完結しているのではなく、他者ともつながっています。
その意味とプロセスを早期に知って正す、つまり素敵なクライマックスに変更するのが、与えられた大きな役割です。
自分の人生の目的はクライマックスで解ります。
それをクライマックスで知るのではなく、早い段階で知って是正することが、生きる真の目的なのです。
まとめ
禁止令のなかでも「存在するな」は、もっともハードなものではないでしょうか?
「この親ならメッセージを発信するだろうな」と思う人がいます。こういう人って意外に優しい面もあるので、本当は優しいと思い込みがちです。
しかし、子どもが分別できるわけでもなく、一言に凝縮された顔の表情、後ろ姿、などが心を深く傷つけるのです。
こういう仕打ちを受けた子どもは、無意識に「してよいこと」として受け止めて他者にも発信するようになります。
某国の軍事パレードを見ていて、心地よく感じた人はどれだけいるのでしょう。(笑=っているしかない)
逆に、涅槃経で説かれるように「生きとし生けるものは、みな仏陀と成り得る資質を持っている」も真実でありましょう。
仏教とは「潜在意識にある思い込みから生まれる煩悩をいかにして焼き尽くすか」を説示された方法論です。
話を戻して、この親もまた無知であるためにコミュニケーション障害によって、我が子を地獄の底に突き落としてしまっているのです。
子を持たない親はいない。親を持たない子もいない。それぞれはそれぞれを持つことで子になり親になる。夫婦も然り、男女も然り、先生生徒も然り。
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