超絶!三法印で知る!自分の人生のある場所で暮らす方法|諸行無常

諸行無常 マインドフルネス
この記事は約13分で読めます。

「病は気から」という言葉があるように、「気」は心身に影響を与えます。身体の異常は比較的、気がつきやすいものですが、メンタルも含めて気がつきにくことの方が圧倒的に多いものです。

イーロン
イーロン

自分の人生のある場所で生きようとするなら、小さなことほど大事にするべきです。「べき」はよくない言葉だと思うけど習慣化した信念だからそういう表現もありと思うよ。

フテネコ
フテネコ

つまり仮想空間でない場所ね。人間は他人の価値観を自分のものと誤解して誰の物かわからない人生を過ごしてしまいがちだからね。

それには掃除、食など、日常的にないがしろにしている、パートナーに任せっきりにしている当たり前のことを整えることです。基本なので、もちろん子どもの場合も同じです。ヒントに三法印・四法印についてお話しします。

三法印

三法印

三法印とは、諸行無常・一切皆苦・諸法無我のことで、これに涅槃寂静を加えて、四法印とします。 あるいは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三句を「三法印」と呼びます

そもそも法印とは何でしょう?

法印とは仏教の教え(仏教の真理のしるし)や最高位の僧侶(法印大和尚位)を指す仏教用語で、他の教えと仏教の違いを明らかにしている言葉です。

つまり敢えて「法印」と仏教のラベルをつけているのには、特別に重要であることを意味しています。

フテネコ
フテネコ

三法印、あるいは四法印が、自分の人生のある場所にどう影響し、どう活かせばいいのか説明します。

諸行無常

諸行無常

万物・万象が現われるのは、原因となる物事があって、その原因が、それを助長するような条件(縁)に巡り会った時、現象となって現われます。

ですから、その原因ないし条件が消滅すれば、その現象も消滅してしまいます。従って、この世のすべてのものごと(諸行)は、けっして固定的なものではなく、常に変化し、生滅しします。

たとえば、科学は日に日に進歩して、自分の持っているスマホやパソコンなどデジタルデバイスはすぐに古くなっていきます。自分の収入や立場も変わっていき、仕事の同僚や家族との人間関係も毎日変わっていきますし、自分の年齢や健康状態も変わっていきます。
地球や太陽でも変わり続け、やがては寿命を迎えます。このように、すべてのものは変わり続けているのです。

これが「諸行無常」という法印で、たいへん明快な教えです。現代の科学にとっても、動かすことのできない基本的な概念です。農耕民族と狩猟民族では環境の違いから生活習慣が違うので、考え方に幾分かの違いが見られます。

古来から農耕民族だった日本人は、この諸行無常のことを「この世ははかないものだ。当てにならないものだ。」というような、厭世的なものに感じにネガティブに受けとっていました。
たいへん歪んだ受けとり方なのですが、アメリカ人は変わり続けるのが進化だと考えているので、すんなり受け入れるだけでなく、人生はローラーコースターだとポジティブに面白がる傾向があります。

その大きな違いは、アメリカ人の場合「私」を主語にしますが、日本人の場合、主語を「日本人は・・・」と、すり替え、責任の所在を無意識に曖昧にする傾向があります。
病的に無意識に、自分の人生を簡単に消してしまうのです。

仏教では、このロジックに基づいて、人間の生きるべき道や、人生に処する心がけが、いろいろと説いるのですが、その中で最も主になるのは、次の教えです。

空(くう)と無(む)

空(くう)

「空」は、しばしば、何もない「無」という言葉と混合されがちですが、固定的実体が無いという意味であって、存在が「無」だと言ってるわけではないので誤解しないでください。
仏教では様々な諸条件つまり「縁起」によって自分やモノゴトが存在、成立していると考えます。

自分という実体は存在しない。すべての現象は仮の姿だ。思い込みにすぎないと 説きます。これは大変難しいロジックですが、きちんとわかると簡単です。

自分は実体しないというのは、単独では実体しないという意味で、縁起の上に成り立っているということです。

『空(くう)』は、仏教の教えの理解する上で、もっとも重要な真理ですが、いくら聞いても理解しにくい原因は、『縁起(えんぎ)』を理解する上で欠かせない言葉だからです。つまり『空』は『縁起』を理解する上で補完する概念なので『縁起』を抜きにして考えると分からなくなるのです。
縁起観(十二縁起)こそブッダの悟りの根本でありすべての教えの原点です。

宇宙の万物・万象は、単独に生じたり、存在しているのではなく、すべてそれぞれが「縁起」で起こる相互依存の関係にあるという「縁起感」が、空の教えの根底にあります。

空は、時としては〈無〉と同じ意味に使われ、むなしいとか、虚無とかいったような否定的な意味を持つこともありますが、中道であることを重んじている仏法でいう空のほんとうの意味は、『すべては調和していて、平等に生かされている』ということなのです。

物事はすべて縁起があって生起しているので、縁起なしに生起しない。つまり単体では空だという意味です。ヒトはそれぞれに個体として存在していると思い込んでいますが、空なので実体として個人は存在しない。「AあればBあり、AなければBなし」Aがいるから私は存在するという相互依存の関係を説いた教えです。

だから自分の人生というのも縁起の上にあるのです。良い縁を創るには「期待しない慈悲」が大切なのですが、子育てをする上で、家庭で、学校で、社会で教えているでしょうか?あなたはどう思いますか?

生きとし生けるもの

土佐のまほろば

ブッダが伝えたかった「諸行無常」は、すべては単独では実体のない空(くう)であり、縁起と深くつながっていて、縁起があって生起するという言葉です。
諸行無常」とは、すべては常住のものではなく、いつかは必ず縁起によって変化するか、消滅するものであることを見きわめよ。そうすれば、自分の身や自分の周囲に起こるさまざまな現象に心を奪われて、あるいは苦しみ悩んだり、あるいは有頂天になって失敗の原因をつくったりすることがない。という教えです。

また、現象に執着して、ヒトを苦しめ悩ませたり、ヒトを羨んだり憎んだりすることもない。それゆえ、常に諸行無常であることを一切種子識として自分の人生の土壌とすべきなのです。

紀友則紀貫之凡河内躬恒壬生忠岑が撰者となった『古今和歌集』仮名序の「花に鳴く鶯 水にすむ蛙の声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌を詠まざりける」にあるように 生きとし生けるもが、エンドレスにワンダフルであるために精進は欠かせない。自分の職業や家庭生活を整えて自らの生計を立てると同時に、世の進展に尽くことが大切です。そうしていると良い縁に恵まれるからです。

お釈迦さま

諸行無常はそれを支えるブッダの教えなので、厭世的な思想であるわけがありません。アメリカ人が諸行無常のロジックを楽しむように、前向きに使って精進するようにしたいものです。

諸行無常の正しい解釈

60兆のネットワーク

われわれは、自分の職業に精を出して自らの生計を立てると同時に、世の進展に尽くしていかなければならないのですから、ネガティブで厭世的な思想やムードを持っていては、どうにもなりません。そこで、現代を生きているわれわれは、この諸行無常のロジックを間違うことなく前向きに捉えて、明るく、積極的に解釈するようにします。

重要な法印のひとつである諸行無常には、変わり続けるだけでない今日的な課題が読み取れます。より深くコミットメントすれば、より生産的なことだとわかるはずです。

マインドフルネスであること

マインドフルネス

諸行無常は、決して衰滅の一路をたどるだけの変化ではありません。
草葉の露が朝日に消えるのは、無に帰してしまったのではなく、朝日がで水蒸気となって空に上ったのです。その水蒸気は、上空で冷やされて水滴になる。 この水滴の集まりが雲の正体で、水滴や氷の粒がどんどん増えて分厚い雲になると、下から雲を押し上げていた上昇気流が支えきれなくなり、落ちるしかなくなって、雨となって地上に降り、田畑を潤し、水力電気を起こすエネルギー源となる。
蒸発したのは、死滅したのではなく、形を変えたに過ぎません。新生の準備をしているに過ぎないのです。

これが諸行無常の一例で、ここで大事なことは草葉の露は、水蒸気、水滴、雲、雨と役割を変えるたびに役になりきらないといけないということです。
これがマインドフルネスです。

さらに、マインドフルネスになりきると、過去も未来も関係なく、いまここ、この瞬間を生きることになり、病気やストレスが入り込む余地はなくなります。裏返すと身体が弱っていたらマインドフルネスになれないのです。だから病気やストレスが入り込まないように諸行無常を受け入れる一方で、マインドフルネスであり続けます。

水滴Aくん「あれ、君はさっきまで草葉の露だったよね」
水滴Bくん「そうだよ、いまは雨になるために雲になる準備をしている水滴になったんだ」
水滴Aくん「じゃあ、ぼくと同じだね。よろしく。一緒にきれいな雲なろうね」
水滴Bくん「ありがとう、楽しみだね。

このように、われわれの住む宇宙というものは、常に無数の衰滅と創造が繰り返される中道にあり、それらが大きく調和している生きた・・・世界なのです。
そこに60兆の細胞ネットワークで成り立っている人の身体のあり方、さらに生死をはめ込んだらどうなるでしょう。

流動するから「もともとのいのち」の流転と創造がある

もし、すべてのものが変化をやめたら、それは永遠の死を意味します。
変化があればこそ流動が起こり、流動するから生命が蠢き、創造が起こります。

そのロジックを真実、悟ることができれば、単に身辺の諸事情の変化・流動に驚きや不安を覚えなくなるばかりでなく、さらにより積極的に、変化・流動を生けるしるし・・・・・として喜び迎えることができます。

諸行無常の法印をこのように受けとれば、たとえ好ましからぬ変化が身辺に起こっても、それは自分の生命活動が活発に行なわれている証拠として、それに立ち向かう勇気がわいてきます。

このことは、病身の人や、中年以後の人など、つまり、生命力が、あまり豊富でない人にとって、特にたいせつな考え方です。

幼児や少年は、両親や家を失うような大きな不幸にあっても、わりあい明るく、平気にしています。焼け野原の東京や広島のど真ん中に放り出された戦災孤児たちがたくましく生きていった姿が、そのことをよく現わしています。彼らは、大人のように、うちひしがれたり、悲しんだりはしませんでした。

路上生活となったり、靴みがきをしながらも、いま、ここ、この瞬間を、雑草のように強く生きていったのです。
幼少年が生命力に富んでいる、いい証拠ではないでしょうか。

それに対して、からだの弱い人や、中年以後になると、ちょっとした不幸・不運にもガッカリし、気力を失う傾向があります。

生命力が次第に弱くなっているからですが、そんなときこそ、諸行無常の法印をしっかり胸に刻み込んでおくようにしましょう。そうすれば、いかなる変化・流動があっても、生けるしるし・・・・・・と受けとり、喜びを胸に耐えていくことができるでしょう。

『創造と調和』こそしあわせであり、生きがい。

Shohei-Chartで自分を極める

しかし、われわれは、単に〈不幸・不運といった変化・流動に耐える〉という、この教えの消極的な功徳からさらに一歩進んで、〈変化・流動があればこそ創造があり、創造こそ人生の生きがいである〉という積極的な教訓を、この法印から受けとることができます。

宮沢賢治が、代表作「銀河鉄道の夜」など名作を生むきっかけとなった『法華経』との出会い、『法華経』にある『化城宝処の譬え(けじょうほうしょのたとえ)』には、そういった人生の考え方が強くこめられています。

宮沢賢治と法華経宇宙

大勢の人々が500由旬という遠い道のりをへて、宝物のある所(宝処)へ行こうとした。その道中は険しい悪路であり、人々は疲れきり引き返そうとした。
その中に聡明で智慧のあるリーダーがいて、彼は人々をあわれに思い、300由旬を過ぎたところに神通力によって一つの都市(化城)を作り出した。これを見て歓喜した人々は、その中で休息し、これが自分たちが目指す宝処であると思い込んだ。
この様子を見てリーダーは幻の城を消滅させ、宝処はもうすぐであり、この大きな都市は人々を休息させるために仮に作ったものに過ぎないと言って激励し、再び宝処を目指して出発させたという。宝というのは、ほんとうの人間らしい生き方の象徴なのです。

この譬えにおいて、指導者とは仏、幻の城とは爾前経(にぜんきょう)による涅槃、宝処とは法華経による真実の涅槃(成仏)を表します。

つまりそれは、「人生には、いろいろさまざまな苦難があるけれども、それらの現象は仮の現われにすぎず、いつまでもそのまま続くものではないことを悟り、現象に心をふり回されないようにすれば、常に安らかな心境におられる」という教えです。
すなわち、諸行無常の悟りの消極的な功徳です。

それでは、そのほんとうの人間らしい生き方とはなんでしょう。
それは『創造と調和の生活』ということです。
幻の城の中で得た安らぎは、休息の安らぎです。変化・流動から一時逃避した安らぎです。ですから、いつまでも、そこにとどまっているわけにはいきません。変化・流動のないことは、死を意味しているからです。

そこで、人生の旅人は、意を決したように敢然と幻の城を飛び出し、新しい変化・流動の旅路に出発します。今までは、外からやってくる変化・流動を受ける・・・という消極的な生き方でしたが、これからの新しい人生は、自らが主体的に変化・流動を駆使し・・・て価値あるものごとを創造していくという、積極的な生き方に変わったのです。
すなわち、諸行無常のロジックを前向きに活用する生き方なのです。

以上をまとめるなら、諸行無常の法印を知ることで、現象にとらわれる迷いから解脱できるだけでなく、人生に立ち向かう勇気と、不幸にめげぬ復元力を得ることができ、また、生きがいの源泉である創造の喜びも、源泉から湧いてくるのです。

お遍路さん

私はその話を思いだしながら四国八十八ヵ所お遍路の旅を続けています。

私がこの話をリハビリセンターで話した後、老人たちの顔は輝き、リハビリに主体的に取り組んでいただきました。まさしく『創造と調和の生活』を少しだけはじめていただいた瞬間でした。さらに私の四国八十八ヵ所お遍路の旅をお話ししたところ、ますます元気の空気が部屋中に流れたのです。ずっと同じ部屋にいるはずなのに、彼らの視線の先が変わったのです。

これを、現代人の功徳にするなら、変わり続け、流動する社会をエネルギッシュに生き抜く「周活・週活・終活」の人生100年のルーティンであり、諸行無常の受けとりかたとしたいのです。

実は、私にはアメリカに暮らすアメリカ人の恋人がいます。結婚もしないまま交際して30年になりますが、彼女には両親がおられました。ある年のバレンタインデーの頃に、父上は「娘を頼む」と私にお手紙をくださいました。そのお父上が台風で亡くなりました。私は創造と調和を求めてお遍路しています。

まとめ

人間は他人の価値観を自分のものと誤解して誰の物かわからない人生を過ごしてしまいがちですが、ひとりひとり自分だけの自分にしかない人生があります。

自分だけの人生があることを知っていますが、その実際のほとんどが抗うことの難しい人生脚本に左右されています。ヒトはなぜ認知を歪めて病気に隠れるのか?人生脚本をロジックで説明したのが唯識でした。

深層心にある「阿頼耶識」「末那識」という概念でした。玄奘三蔵法師は一生をその翻訳に捧げました。知っていることと実践していていることは違います。ブッダが唱えた諸行無常をはじめ三法印、四法印を実践することで、自分だけの自分の人生は手元に戻ってきます。しあわせとは?生きがいとは?健康とは?

偉人たちが命がけで伝えた真理を子育ての柱にして自分だけの人生を正しく打ちたてて、子どもを正しく守ってあげましょう。

人生100年時代のマインドフルネス講座

LINE友だち追加

LINE友だち追加

ゲンキポリタン大学

ゲンキポリタン大学

禅の用語説明外部リンク

お粥さん(食禅)プロジェクト

「社会人基礎力」(全6回)

コラム

ゲンキポリタン(一般社団法人いきいきゴエス協会)

マインドフルネス 不器用女子の好き避けライフ ライフスキル
アサーティブ ライフプラン・ライフシフト 整理収納

 

 

タイトルとURLをコピーしました