人を育てるゲンキポリタン。(一社)いきいきゴエス協会代表理事100年ライフの特別な一日。日本代表、Naomanです。
境界(ボーダーライン、バウンダリー)は、人間関係のあり方を決定づけます。
生涯に影響するので、ここでは親と子の100年ライフがエンドレスにワンダフルに過ごせるように、境界(ボーダーライン、バウンダリー)のあり方、向き合い方についてお話します。
人は変わらない。早期に修正する。
バウンダリーとは、自分と他人との間に適切な境界線を引くということです。
バウンダリーは、自分に対して行動をとる他者に対して、合理的・安全・許容可能な手法であるかを判別するために個人が作成する規範、制約で個人の境界線、他者との境界線ともいいます。
境界線、境界は、個人の規範に役立ち、好き嫌いをおおまかに判別し、他人が接近できる距離を設定するものです。
固定された壁のようなものとは違い、自身で緩めたりキツイ線にすることができます、
境界線には身体的、精神的、心理的、精神的といった種類が存在します。
境界線は信念、感情、直感、自尊心などによって編成されます。これらは時に、「保護」として働くこともあれば、「封じ込め」として働くこともあると言われています。
境界、バウンダリーは、人間関係のあり方を決定づけるので、人生をどう過ごすかに大きな影響があります。幼い子には解らないと決めつけるのは間違いです。
境界テストで自分の境界線を知る
▼境界テスト
次にあなたに該当する項目が、いくつあるか確認してみてください。
・断っても安心な人には、平気に断ることができる
・依頼されたり、期待されたら、断ると悪いと思ってしまう。
・相手の考えに合わせて、自分の考えを変えてしまう
・自分の意見を相手が受け入れるか不安で率直に言いにくい
・(自分を受け入れる人には、気を使わずに話す)
・相手が怖くて自分の思いを言葉にできない(安心出来る相手には平気で言う)
・欲しいものや必要なものがいえない(信頼している人には不満を言う)
・ひとの意見に合わせる(信頼している人には合わせない)
・自分で決断できない(文句を言って相手に決断させる)
・相手の気持ちのすべてを自分のものにしたい
・相手を自分に合わさせようとする
・批判されると落ち込む、カッとくる
・相手が悲しんでいると自分が後ろめたく感じる
・他者の責任を押し付けられる
・相手の問題解決に必死になる
・自分よりもひとの世話をする
・相手が楽しそうでないと自分が責任を感じる
・自分の幸せは相手にかかっていると思う
・相手の問題解決のために相手以上に躍起になっている
・相手があなたを幸福にしょうとしている
・相手があなたの問題を解決してくれる
・あなたを相手の力で幸せにしてくれることを期待している
・相手の不始末の責任を自分がとっている
・休んでいたら悪い気がする
・相手に自分の食事を選んでもらう
・許可なく勝手に部屋に入ってくることを許してしまう
・許可なく勝手に部屋に入る
・健康に障害が出るほどハードな仕事をさせられている
・相手が場にふさわしくない服装だと自分がはずかしい
・疲れているのに他者に世話をさせられる
・不機嫌な態度で相手を変えようと試みる
・自分を傷つけるひとと関係を続けてしまう(自分が相手を傷つけても平気)
・自分だけの時間が持てない(相手が自分だけの時間を持つと不安になる)
・暴力行為を受ける(暴力行為をする)
・勝手に性的な接触をされる(性的な接触をさせるようにする)
・約束を勝手に変更される(約束を勝手に変更する)
・自分のモノを無断で触られる(相手のモノを無断で触る)
・貸したお金を返してもらえない
・借りたお金を返さない
境界がないと、以上のような現象が起こります。
すでにお気づきのように、「境界」を越えてしまうとつらいことがどんどん増えていきます。
バウンダリーに支障があると、次のような問題が起こります。
境界テストでわかること
・他者がやるべきことを自分がやらない
・他者の問題を自分の問題にしない
・他者の責任を自分の責任にしない
裏返せば
・自分がやるべきことを他者にさせない
・自分の問題を他者の問題にしない
・自分の責任を他者の責任にしない
以上のことがきちんとできるかどうかです。
境界線が引けないと、次のような問題が生じます。
・境界線を引けないことによって、本心ではやりたくないことをやっていることによるストレス
・境界線を引けないことによって、他者の行動、感情のケアをすることによるストレス
・境界線を引けないことによって、他者をコントロールしようとすることのストレス
子どもに成人した後、社会に出てから、こんな辛い思いをさせることになります。
自分と他者は別の人格を持った人だということを教えておきましょう。
それを教える始まりは5歳からです。さらに遡ると生後10ヶ月です。
人間の仕組み
人間の仕組みは、言葉を使って説明していくと複雑そうに思える場合がありますが、実践は言葉よりはるかに簡単です。実践はルーティンワークにすると、より簡単になります。
人間関係の仕方はどのようにしてできるか
人には、生きる構えがあります。構えとは人間関係の仕方です。
人は社会で生きていくので、ひとりでは生きていけません。
数少ないですが、一般社会で、ひとりで生きていく状態に近い人の事例が文筆家、アーティスト、など特異な才能を持った人です。特異な才能がない人は、人間関係の仕方が重要になります。
人間関係の仕方は、1.5歳までに決めていると言われています。
この時期は「言葉」が十分理解できません。なぜ人間関係の仕方を決めることができるのでしょう?
1.5歳までにコミュニケーションする相手はほぼお母さんです。
つまりお母さんとの間で築かれる「愛着関係」です。
愛着とは対人関係における信頼関係を築く能力です。
心の癖が1.5歳までにできてしまう
認知に歪みがあると、信頼関係を築く能力が正常に発揮できなくなります。
認知の歪みとは。心の癖によって、あるがままに認識できずに間違った認識をしてしまうことです。
育て方(愛着関係のあり方)で、心の癖が1.5歳までに出来上がってしまいます。
心の癖が人間関係の仕方を、どんどん決定付けていきます。
禁止令が人間関係の仕方を決定づける
禁止令は親が無意識・意識的に子どもに発出してしまう「〜するな」という指令です。
主な禁止令には次のものがあります。
禁止令は、巧妙に入り込みます。自分がいつどうように禁止令をかけられたのか、自己分析すると発見できます。お母さん自身が禁止令に囚われていますが、子どもにはかけないように十分に注意を怠らないようにしましょう。
お母さんが、子どもと安定した愛着関係を絆していたら、心の癖はできないし、自らも禁止令を発出することもありません。お母さん自身が禁止令を受けて、愛着の問題を抱えている可能性があります。子育ては親育てと言われる所以です。
人生脚本のこと
- 認知の歪みがある
- 不安な愛着
- 禁止令を受けている
以上のことは連鎖していき「人生脚本」を形成します。
人生脚本には、ドラマティックな最終章があり、不幸な結末を実現します。政治家が不用意な言葉を発して職を解かれるなど、世の中には様々な不祥事があります。「なぜ、そんなバカなことを」と思うことがしばしばあります。そこには自ら失敗したい隠された欲求があります。(=人生脚本)
本当の自分を生きるための子育て
子育てで大切なことは。本当の自分を生きるられるように育ててあげることです。
本当の自分とは「もともとのいのち」です。いのちは生きたがっています。
その生命力を抑圧せずに生かしきるには、保護的な母親の心を中心にしたバランスのとれた人に成長させてあげることです。
人には3つの心があります。
3つの心
人には3つの心(正確には5つの心)があります。
- 親の心(厳格な父親の心・保護的な母親の心)
- 大人の心
- 子どもの心(従順な子どもの心・無邪気で自由な子どもの心)
人は誰でもこの5つの心を使ってコミュニケーションしています。
サンプル画像①(並行的な交流の事例)
左右、二人の人がコミュニケーションしていると仮定します。
①上の事例では、お互いのA(大人の心)から、相手のA(大人の心)に投げかけています。
②お互いにC(子どもの心)から、相手のC(子どもの心)に投げかけて,同じく並行的な交流になります。
③片方がP(親の心)から、相手のC(子どもの心)に投げかけて、片方がC(子どもの心)からP(親の心)へ投げかけても、並行的です。
特に③の場合、片方が親の心から、片方が子どもの心からなので、甘えやすい交流になっています。
恋している男女の交流では、このパターンが多く見受けられます。
ところがP(親の心)から、相手のC(子どもの心)でも。下の場合(サンプル画像 ②)では交叉してしまいます。
サンプル画像②(交叉する交流の事例)
このパターンは、
片方がP(親の心)から、相手のC(子どもの心)に投げかけて、片方がC(子どもの心)からP(親の心)へ投げかけていますが、交叉しているので、トラブるコミュニケーションになります。
交叉している原因は、相手の投げかけに対して、並行的になる返し方をしていないからです。子どもが親に甘えても、親がそれを無視して、しっかり勉強しろと返すとこのパターンになります。
3つの心のバランス
3つの心のバランスは人によって、違います。
- 大人の心は社会生活を送る上で、重要ですが、高すぎると面白みのない人になってしまいます。
- 従順な子どもの心は、素直で良い人の印象がありますが、曲者になりやすい心です。
従順な子どもの心は、保護的な母親の心が弱く、厳格な父親の心が強い家庭で育つと、強くなります。父親が社会的に厳しさを求められる職業、たとえば政治家、教師、神父などの要職にあると、母親も世間体を気にするので、厳しく育てられます。
子どもは無邪気で自由な心を抑圧されるので、我慢します。抑圧しますが、消えてなくなるわけではないので、仮面的な交流が増えます、増えれば増えるほど、人を欺きやすい気性が備わります。抑圧になれきると自己主張ができない子どもになります。 - 無邪気な子どもの心が強い子が強すぎると、無責任な子になる可能性が高くなります。バランスに必要なのが、大人の心など他の要素です。
「どうか私の言っていないことを聞いて」
私に騙されないで。
私がつくろう顔に騙されないで。
私は仮面を干の仮面を被っているから、
それを外すのは怖くて
どれひとつとして私じゃない。
うわべを飾るのは、第二の習性となった技巧。
でも騙されないで、
お願いだから騙されないで。
あなたに、私は大丈夫という印象を与える
すべては順調で、私の内も外も静かに落ち着いているという、
自信が私の名前で、クールなのが私のゲームといった、
水面は穏やかで、私は指揮権を握っているといった、
私は誰も必要としないといった。
でも私を信じないで。表面は穏やかに見えても、表面は私の仮面、
つねに変化し、つねに姿を隠す仮面。
その下に安心の字はない。
その下には混乱と恐れと孤独が居座っている。
でも私はそれを隠す。誰にも知られたくない。
私の弱みや恐れが、むき出しにされると考えるだけで、
私はうろたえる。
だから私は、血迷ったように隠れ蓑をつける
何気ないふうな、洗練された見せかけの仮面を、
うわべを飾る手間けをしてくれる
見按いているといった眼差しから私を守ってくれる仮面を。
でも、そんな眼差しこそが私の救済。
私の知る唯一の希望。
つまり、もしその後に私が受け入れられるのであれば、
もしその後に愛があるのであれば。
それは、私を私自身から解放してくれる唯一のもの
私の自分で築き上げた牢獄の壁から
私があんなにも丹精込めて作った砦から。
それこそが、私が自分自身に確証できないものを、
確証してくれる唯一のもの
私にも実のところ、何らかの価値があるのだと。
でも私は、このことをあなたに言わない。
あえて言わない。怖いから。
私はあなたの眼差しの後に受け入れが、
その後に愛が伴わないのではと恐れる。
あなたが私を劣っていると思うのでは、あなたが笑うのではと恐れる。
あなたの醐笑は私を殺すのだから。
私は、結局のところ何者でもなく、ただ駄目な人間であることを恐れる。
あなたがそれに気づいて、私を拒否することを恐れる。
だから私は私のゲームをプレイする。命がけの、扮装ゲーム。
表に確信のうわべをつくろい、内なる子どもは震えている。
そうしてきらびやかな、けれど空虚な仮面のパレードが始まる。
私の人生は前線となる。
私は無為に、口あたりのよいうわぺだけのおしゃべりをする。
本当のところどうでもいいことは、全部あなたに話す。
本当に大切なこと、私のなかで泣いているものについては、
何ひとつ話さない。
だから私が、私の決まりきった私を演ずるとき、
私の言っていることに騙されないで。
どうか注意深く聞いて、私が言っていないことを聞いて
私が言ってみたいことを、生き延びるために
言わなくちゃならないのに、
私が言えないでいることを闇いて。
私は隠れたくない。
うわべだけのいんちきゲームはしたくない。
そんなゲームはやめてしまいたい。
私は本物で、自然で、私でありたい、
でもあなたが助けてくれなくちゃ。
あなたの手を差し伸べてくれなくちゃ、
だとえそれが、私が一番嫌うことのように見えても、
私の目から生ける屍のうつろな凝視を拭えるのは
あなただけ。
私を生に呼び戻せるのは、
あなただけ。
あなたが親切で寛容で励ましてくれる時、いつも
あなたが本当の気遣いから理解しようとしてくれる時、いつも、
私のこころに翼が生え始める。
とっても小さな翼、
とってもかよわい翼、
でも、それは翼!
私の感情に触れるあなたのパワーで、
あなたは私に命を吹き込める。
あなたにそのことを知って欲しい。
あなたが私にとってどんなに大切か、知って欲しい。
あなたは私という人聞の創造者。
そう、真面目な話、
創造者になりうることを、
もしあなたがそうしたいのならば。
あなただけが、私がその後ろで震えている壁を取り崩せる。
あなただけが、私の仮面を取り払える。
あなただけが、うろたえと半信半疑の私の影の世界から、
私の孤独な牢獄から、私を解放できる。
もしあなたがそうしたいのならば。
どうかそうして。私をやり過ごさないで。
あなたにとってやさしいことではないはず。
自分は役立たずとの久しい確信は強大な壁を築く。
あなたが私に近づくほど私はより盲目的に
はね返すかもしれない。
それは不合理なこと、だけど本に書かれている人間とは違って、
しばしば私は不合理。
私は欲しくてたまらない、まさにそのものに対して闘いを挑む。
でも愛は、強大な壁よりも強いと人は言う。
そしてそこに私の希望はある。
どうかその壁を打ち壊して、
堅固な手で、
でも優しい手で、
子どもはとても敏感だから。
私は誰、とあなたはいぶかるかもしれない。
私はあなたがよく知っている人。
私はあなたが出会う、あらゆる男たち、
あなたが出会う、すべての女たちなのだから。
チャールズ・C・フィン 作
マインドフルネスでストレスフリーな子育て
- ご自分のうちにある自動思考で煩悩を製造するシステムを理解して対策を体得していただけます。
- 瞑想の場所を選ぶことなく、24時間いつでもどこでも簡単に瞑想していただける状態になっていただきます。
- 道具もなにも入りりません。
- アンガーマネジメントにも効果を発揮していただけます。
- ご自身がマスターしたマインドフルネス実践講座は「子育て」にも役立てていただけるので、エンドレスにワンダフル」を継承していただけます。
まとめ
境界(ボーダーライン、バウンダリー)のあり方、向き合い方はいかがでしたか?
最後のポエム「どうか私の言っていないことを聞いて」は、愛着の絆を結べなかった 人、虐待されて育った人に共通した心情です。
なぜ人に気を使ってばかりいるのか、自分を開示できないのか、さらけ出せないのか。
人と交わることに臆病になるのか、楽しめないのか、本心を抑えてしまうのか
境界の恐れは、愛着スタイルが不安定な人の恐れでもあります。