プリンセスななママは、
「禁止令・二分法的思考・完璧主義・万能感」
の呪縛から大切な子どもを救います。
ディズニー・プリンセスは、いろんな呪縛の囚われています。
たとえば「塔の上のラプンツェル」のラストでは、恋人のフリン(ユージーン)が、ラプンツェルの長い髪を切って、ラプンツェルを呪縛から解き放ちます。
名場面でしたね。
これと同じくというか、スマートなママは「禁止令・二分法的思考・完璧主義・万能感」の呪縛をかけないように慎重に子育てします。
働くママは毎日がストレスもいっぱい。それでも愛する子どものために学びをやめません。
ママはシンデレラとフリンの二役もやってしまいます。
「禁止令・二分法的思考・完璧主義・万能感」
禁止令は、白か黒かの二分法的思考とつながっています。
二分法的思考とは、すべてか無か。白か黒か。善か悪か。というように両極端な二つのどちらかを求める考え方です。
完璧主義とも関わっていて、完璧にできないなら取り組まないという困った態度のもとになっています。
なぜ困った態度かというと、
- 完璧にできないようなら最初から取り組まない
- できそうなことしかしない
- 結果が見えないことはしない
というのと同じだからです。
白でも黒でもなく、灰色の状態だけど、努力して白あるいは黒に近づけていくのが「可能性を育む楽しい努力」なのです。
完璧主義は、また万能感ともつながっています。極端な発想を育んでしまいます。
禁止令も、万能感も、二分法的思考も、『し合わせ」から遠のいてしまうものなので、アサーティブな態度を育んであげましょう。
万能感の功罪
万能感は、幼いこどもが持ってしまう幻想です。
こどもは泣いたり叫んだり、ラケットを使ったりして、親、保護者をコントロールしようとします。
親、保護者が思うように行動してくれると、自分の願うことはなんでも叶うという思い込んでしまいます。
子どもでなくても、自分を万能の神のように思い込んでしまいますよね、
「万能の神(全能の神)」とは、どんなことでもなし得る存在のことですが、現実には存在しません。
親は忖度して、「あの子のために」と思って動いている場合が多いのですが、子どもは錯覚します。
子どもたちは、成長に伴い、現実を知るようになっていくのが健全な状態です。
ほとんどの場合、子どもであっても社会生活で現実を学びます。
ところが、親が子に甘すぎる、教えようとしないと、万能感を持ったまま大人になる子どもがいます。
テレビや映画で描かれる「放蕩息子」がその典型ですね、
小学中級以上のお子さまにも楽しみながら勉強できる、芥川龍之介の「蜘蛛の糸 (日本の童話名作選)
地獄に落ちた男が、やっとのことでつかんだ一条の救いの糸。ところが自分だけが助かりたいというエゴイズムのために、またもや地獄に落ちる「蜘蛛の糸」は有名なお話です。
万能感が持てなかった子どもは自己否定感を強めてしまう
こどもたちは、成長に伴い、現実を知り、万能感を手離します。
このプロセスは誰もが通る道なので、間違っていると攻撃的になる必要はありません。
逆に、子ども時代に、自分のわがままが全然通用しなかったことの連続だとしたら、「自己否定感」を持ってしまいます。
非力な子どもは、大変悲しい思いをしますが、同時に自分の無力感を味わいます。
無力感を持たせないために、わがままを聞き入れてあげることも大切なのです。
無力感を根本的に持ってしまうと、人付き合いを恐れるようになります。
自分はダメな人間だ、いつバレるかも解らないと思うと、安心したコミュニケーションも、付き合いもできなくなります。
非力な子どもにとって、親、保護者が自分に関心もってくれない、無視されることは、想像を絶する辛さなのです。
一旦、万能感を持たせてあげて、社会生活(保育園など)に入っていくにつれ、少しずつ解らせていくようにしてあげたいですね。
万能感を捨てきれないまま成人すると困ったことに。
万能感は甘えの裏返しですから、親が甘やかして育てていると万能感を捨てきれないまま成人することも珍しくありません。
不幸はそこで起こります。
こどもは成人すると、万能感に仕返しされるかのように苦しむことになります。
その苦しみがどこから来ているのか、子どもには、解りません。
解からないまま悶々とすることになります。
もっと怖いのは、万能感を当たり前のように持ったままになることです。
傲慢な人間になってしまいます。
万能感の仕返しが傷つける
万能感はいいことばかりではありません。
思い通りになるということは、悪いことも自分の原因だと感じてしまいます。
もし、仮に親が離婚したとします。
不和の理由は夫婦にありますが、子どもには解りません。
自分が親のいうことを聞かなかったから、離婚したと思い込みます、
万能感があると、自分のせいと勘違いします。
可哀想ですね。
「自分が悪い子だから。」の思い込み
万能感があるがゆえに、自分がいい子でなかったから、片親が去ったと考えてしまうのです。
こどもには罪悪感が爪痕になり、深い痛手になります。
子どもは良い子になろうと努力します。
しかし、いくら良い子になっても、事態は変わらないので、自分はダメな子だと思い込んでしまいます。
万能感が裏返って自己否定感になるなんて。
大人になっていても、この仕組みが体感できません。
「自分は愛されている」だから「ママは自分の気持ちを優先してくれている」と思っただけなのですから。
万能感が強いほど、つまり甘やかされ、大事にされた子ほど、なにごとにも自分に原因があると考えてしまうのです。
「なんで、私は嫌われるの?」
これが自己否定感となって、根本(深層心理)に浸透してしまいます。
「自分のせいで」と思い込まないで
このパターンは成人しても続き、自分が関係しないことであっても「自分のせいで・・・・」という思いに苛まれます。
この意識は、他者と親密になることへの恐れに発展します。
なにも言わなければ、感情を出さずにいたら、失敗しないと考えてしまうのです。
表向きは問題なく繕うことに長けていきますが、内心では不安が離れないというストレスの多い生活が日常化します。
自分の大切な人との間で起こる「万能感トラブル」
万能感はラケットとも結びついているので、特に親しい関係の人との間で問題が起こります。
心理的に距離のある人との間では、ラケットを使わないからです。
自分が不幸であれば他者はなんとかするという、他者をコントロールする発想に 裏返ってしまうことにもなります。
その企みはほとんど失敗します。
万能感は「努力すれば、なんでも実現できる」というポジティブなものではありません。
根拠のない自信過剰と、しかし実際にはなにもうまくいかないという自己否定感が、ひとつに強く結びついたネガティブで、何事にも不安になるアンビバレンスな感情です。
こどもの世界と大人の世界は違う
こどもの頃、泣いたら思い通りになったというようなことは、大人の世界では起こりません。
それを認めてくれるとしたら、恋愛感情を持った異性だけです。
だから恋愛は心地いいのです。
恋愛依存症になる人もいます。
しかし、チャホヤされることが大切であって恋愛とは呼べないものですが、本人は違いが解りません。
思い通りにならないと、相手を責めるので、息苦しくなって逃げ出します。
率直、誠実、対等、自己責任は、自分を導く道標です。
ディズニー・プリンセスに共感した現代のママはプリンセスを守って闘う
「塔の上のラプンツェル」のクライマックス、フリン(ユージーン)が愛するラプンツェルの長い髪を鏡の破片で切りとって息絶える場面には、真実の愛が散りばめられていて何度見ても感動的。おっさんでも泣きました。
自分的には「塔の上のラプンツェル」と(ディスニーではないけど、元ディスニースタッフが製作した)「アナスタシア」が絶賛です。
ラプンツェル、シンデレラ、白雪姫。。。過酷な運命と戦うディズニー・プリンセスに共感した現代のママはスマートでカッコいい。
クールビューティがぴったり。運命に立ち向かっていきます。働くママは休む時間もないけれど、「禁止令・二分法的思考・完璧主義・万能感」といった子どもを追い込む呪縛をかけまいと、しなやかに勉強して、次世代のプリンセス・プリンスを育てます。
「塔の上のラプンツェル」の英語は聞き取りやすく英語学習の教材にも最適です。
まとめ
ラプンツェル、シンデレラ、白雪姫・・・過酷な運命と戦うディズニー・プリンセスに共感した現代のママはスマート。
決して負けません。運命に立ち向かっていきます。
ディズニー・プリンセスは過酷な運命を息抜きますが、愛された記憶を潜在意識に持っています。
愛情不足で育った子どもは、愛と求めて恋愛依存症になりがち。
恋愛依存症は、関係がうまくいってるときは、アルコール依存と同じく心地よいモノです。
しかし、通用しなくなったときのみすぼらしさは、とても惨めなので、次に相手探しに躍起となります。
こうして運気がアップすることは、まずありえません。
どのような場面でもアサーティブ(率直・誠実・対等・自己責任の自己主張)なコミュニケーションができるように、愛をたっぷり注いで育ててあげましょう。