「禁止令〜楽しむな」は、自分の思うような人生を自ら制限してしまいます。
自分でも理由が分からないのは、自分の欲求を「したくない」とすり替えます。
コンサートに行きたいのに、行くのをやめた。
理由を聞くと、「思ったけど、行くほどのこともないかな」と思ったの。
こういう経験を重ねていくと、何事にも本気になれなくなっていきます。
自分の願望を疎かにすることは、遊びでも仕事でもお勧めできません。
目に見えない無自覚のストレスが、人、物、お金に出てきます。
禁止令「楽しむな」に潜む「できない」「やりたくない」を書き換える(=解決)する方法をご紹介します。
①禁止令=〜であるな
①禁止令は、養育者から幼児に投げ込まれます。
それが、本当に「禁止令」であったか、どうかは定かではありません。
真実がどうあれ、幼児が受け取った事実が生涯に影響します。
②抑圧=安全・安心のために我慢する
②幼児は養育者なしに生きていけないので、なにより「安心・安全」を優先します。
すでにスキンシップで感じ取るスキルをもっているので、スキンシップで「安心・安全」を求めます。
親のスキルが、重要です。事実がどうあれ、感じ取ってフィードバックする力がないと幼児は誤解します。
どうあれ、幼児は「安心・安全」を求めて、自分を抑圧します。
③本当の自分、本当の願望を抑える=安全・安心のために隠す
③本当の自分を抑圧します。
④生きるために「人間関係の仕方」を学ぶ
こうして人間関係の仕方を学びます。
自分はNO、他者はOKの構えを身につけると悲劇です。
⑤ラケット=「怒らせても愛されたい」隠しきれない自分の願望
だからといって、幼児は自分を完全になくすことはありません。
⑤ラケットを使い、困らせます。困らせても構ってもらいたいのです。
ラケットとは、いまここに不釣り合いな態度・表情・言葉です。
ラケットを向けられた相手は、なんとなく罪悪感を持ち、胸を痛めます。
胸を痛めるように工夫しているので、辛くなります。
「怒らせても愛されたい」というのは、年齢問わず、抑圧している人間がとるスタイルです。
彼女が彼の愛を確かめるもっともシンプルな態度は「私のこと、愛してる?」と聞けばすむことです。
でも、相手に言いにくい、信用できないと思うと、複雑になってしまいます。
関係のない人と、親しげに仲良くしている場面を見せ付けたりして、様子を伺います。
彼女を心から愛してる男性にしたら、腹が立ちます。
このように怒らせても、確かめたい心理は、いまここに不釣り合いな態度・表情・言葉として顕れます。
⑥人生脚本=隠された人生の目的
しかし、このスタイルは、抑圧している部分があるので「天邪鬼」になってしまいます。
続くと、関係はほぼ100%こじれます。
こじれると、身につけた人間関係の仕方を身をもって知ることになります。
つまり、これが本人にも意識できていない人生脚本の目的(クライマックス)になっているのです。
人生脚本とは、3%の顕在意識と97%の潜在意識の葛藤
人生脚本は、年齢を重ねるほど明確になって来ます。
自動思考が年齢に比例して増えていくので、むき出しになってきます。
自分で明らかにしていくのは、不思議ですが、抑えていた「煩悩」の蓋がとれたように明らかになります。
人生脚本の書き直し=授戒会(じゅかいえ)
社団法人いきいきゴエス協会では、人生脚本の書き直しをオススメしています。
その方法は、「授戒会」です。
授戒会=人生を再決断しなおす
人を形容する言葉はたくさんあります。
成功者、優しい、たくましい、働き者、頑張り屋さん。。。。いろいろありますね。
あなたにふさわしい人生脚本はどんなクライマックスでしょうか。
どんな風に形容してもらいたいですか?
人は亡くなると、日本人の場合、戒名をつけていただきます。
戒名は、それに通じていますが、無頓着にお坊さまに任せていませんか?
戒名にはルール(形式)があります。
院号3文字、道号2文字、法号2文字、位号2文字です。
院号・ 釋号(しゃくごう)・名号・位号という場合もあり、宗派で呼び方は違いますが、これらの場合道号、名号が自在になっています。
それに則ってつけていただいていますが、お坊さんと日常的に交流がない場合、お坊さまはその人を知らずに戒名をルール(形式)だけでつけます。
そもそも戒名は出家した人につけるものですが、一般人には無縁なものです。
なのに一般人が、なぜつけるようになったのかはさておき、戒名には「なりたい自分像」をつけるのが本来なのです。
その上で戒名を実現するように頑張るのです。
つまり生きている時につけるものです。
自分なら「素敵な人でしたね」と言われたい。
だから日常から、そう言っていただけるように心がける。
この世は思い通りになりませんが、やった通りにはなります。
それだって「志半ば」ということにもなりかねませんが、志は遺るものです。
それを見ていた人は、かならずそれを受けとめて語ってくださるでしょう。
そのためにも生きている間に(成人したときにでも)戒名をつけることをおすすめします。
そのタイミングに人生脚本を書き直したときに、人生脚本にふさわしい戒名をつけるのです、
戒名をつける会が「授戒会」(じゅかいえ)です。
そして「戒名」を目標にした毎日を過ごしていただきたいと思います。
仏教なんか古い、エッ!宗教と思う人に
SF映画の金字塔「マトリックス」も「スターウォーズ」も仏教がベースになっているのをご存知ですか?
陽気なアメリカ人をはじめ世界が熱狂するのは、そのアクションやCG、 SFXの力だけではありません。
なんといってもストーリー(物語)に込められたメッセージ性にあります。
マトリックスは、仏教のもっともコアな課題に切り込んだ上で、奇想天外なアクションと最新技術で観客を驚かせました。ストーリーは難解ですが、ものすごく面白いのは、「戒名」と同じです。
スターウォーズも仏教の三毒がストーリーに練りこまれています。
「戒名」は、ものすごく楽しめるテーマです。
楽しんでやる
「楽しむな」と禁止令が出されているなら、大いに楽しむことで、禁止令を解く。
「授戒会」なんて、バカげていると感じるなら、バカになってみる。
「楽しむ」とは、そういうことではないでしょうか。
ある男性は、愛する人との間で、射精がができずに悩んでいました。
さほど、好きでもない人となら、問題なくできたのですが、本当に愛する人のと間では何度試みても無理でした。
愛するあまり、大切にしたい気持ちが募って自然体になれなかったようです。
本当は楽しみたいのに、身体に脳がブレーキをかけてしまうのです。
想いは大切ですが、本来はフィジカルなはずです。
身体を通して想いが伝わるはずです。
ブレーキをかけないようにするために、男性は脳に対して「射精していい」と楽しむ命令を出し続けました。
やがて、ぎこちない状態が数回続いた後、ごく普通に射精ができるようになりました。
「できない」ということはない
神経症レベルの方にとっては、よほどの事情がない限り、「できない」ということはないのです。
すべてが環境のせいで、自分はその犠牲者だ、という受身的な態度がチャレンジすることで、「できない」
のではなく「しない」「したくない」ことに気づくように心がけます。
ときには、介入することもありますが、「できない」裏側に「実行してはいけない」という禁止令が働いているかもしれません。
- ママを怒らせるんじゃありません。
- あの子は私をがっかりさせるようなことばかりするのです。
- あいつったら、いつも、本当に肢が立つ
それで、私はこんなになってしまったのです。
こうして、自分の意志に基づく表現に言い直してみます。
- 私がイライラして怒っているのです。
- 私が期待しすぎて、思ったように行かないので滋肥したのです。
- 脱が立つのではなく、弘が一人で怒っているのだ
こうなったのは私のやり方がわるいからだ、
まとめ
「できない」ではなく「しない」「やりたくない」
そこに間違った罪悪感が植えつけられています。
脳は身体に「してはいけない」という禁止令を投げかけています。
身体にメッセージを投げ込むと、身体は反応します。
「坐禅」「瞑想」で改善できるのは、奇妙に感じるかも知れませんが、身体は想像以上に神秘的なのです。