気が重くなるコミュニケーションには相手に隠された原因があります。
お互いの「人権」を尊重する意味で、原因をいちいち詮索する必要はありません。
コミュニケーションした結果、なんとなく楽しくない、気が重くなることはありませんか?
あるいは相手の行動にいやな気分になった。腹が立ったことはありませんか?
こんな場合、実は相手がかかえている気持ちを自分が味わっていることが多いものです。
相手が持てないほど重い感情を、知らない間に押し付けられて、相手に代わって持たされているのです。これが依存された状態です。
コミュニケーション能の土台はお互いを信頼すること。
信頼感のあるコミュニケーションは、軽く爽やか。
コミュニケーションの土台を考えてみます。
コミュニケーションは鬱憤のはけ口ではない
「親しい関係とは人権を軽く扱うことではない」・・・・
これがコミュニケーションの基本です。
これを間違うと「虐待」「DV」になります。
親しい関係とは、鬱憤のはけ口ではありません。
その土台は、自分を信頼することです。
コミュニケーションの土台
コミュニケーションの土台は、「信頼」です。
信頼は「なれる最高の自分になろう」と目的を持って向かっているプロセス・・・つまり「自立」しょうとしている態度のなかから獲得できる力です。
自分を信頼できない人ほど、親しい人の人権を軽く扱います。
親しいほど、境界を無断で越えて、相手の領域を侵犯してしまうことがあります。
その理由は自己認識スキルで話した「境界」の認識の欠如がありますが、越境したくなる心理も見逃せません。
つまり「依存」です。依存は、「なれる最高の自分になれない」決めつけから生じた不安と、自分への怒りから生じた行動パターンです。
コミュニケーションした結果、なんとなく楽しくない、気が重くなることはありませんか?あるいは相手の行動にいやな気分になった。腹が立ったことはありませんか?
こんな場合、実は相手がかかえている気持ちを自分が味わっていることが多いものです。相手が持てないほど重い感情を、知らない間に押し付けられて、相手に代わって持たされているのです。これが依存された状態です。
コミュニケーションに潜んでいる依存に気をつける
「依存」は「自立」の対極にあり、「自立」を妨げるものです。
依存は、自分より強い相手に対して起こるものでもなく、自分より立場の弱い者、たとえば「幼児」に対しても起こります。
またモノ、こと、動物、何に対しても起こります。
「アルコール依存症」はもっとも認知された依存でしょう。
人間関係では恋愛の姿を借りた依存も多いパターンです。
親しさに潜んでいる「依存」
親しいほど、越境が起こるのは、傷つく可能性が極めて低いからで、安心感があるからです。
アルコールは身体を蝕むことはありますが、「お前はダメな奴だ」と言うことはありません。
生命の危機に影響することであっても、依存には安心感が必要なのです。
幸福の代替品ではないコミュニケーションを大切にする
しかし、私たちが本当に望んでいるのは、幸福の代替品ではなく、幸福そのものです。
気持ちのいいコミュニケーションの基本は、自分と相手を大切に扱うことです。
互いの人権を尊重することが基本中の基本です。
そのためにまず自分への信頼感を高めていくのが早道です。急がば回れなのです。
幸福の代替品ではないコミュニケーションを大切にしたいものです。
まとめ
親しい関係とは、鬱憤のはけ口ではありません。
この道理がわからない人が全世代に広がっています。
人は年齢と共に成長しません。年齢に関係なく意識するから成長します。
社会経験を積んでも、学業に励んでも、人間的な成長とは無縁です。
自分が信用できる人間になるためにとことん学ぶしかありません。
コミュニケーションはその成果を測定するツールです。