自分とのつきあい方を教える「マインドフルネス」と「アサーティブ」

WIN-WIN アサーティブネス
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マインドフルネス

上の図は、マインドフルネス(気づき)の瞑想の仕組みを表したものです。

マインドフルネスの目的は真理に到達することにあります。つまり「人の幸福」のことだと思ってください。

「人の幸福」の実体ってなんでしょうね。

功成り名遂げるあるいはお金持ちになる・・・・ちょっと古い気がしますが、根本では変わっていないでしょう。
そういう人もいますが、外の力より内の力を大事にする人もいます。

はっきり目標をもった人もいますが、多くはあるようでなさそうな。ないかと思うとあるような。

「人の幸福」ってなんでしょうね。

私たちの幸福って

私たちの『し合わせ」って

私たちは日常的に「ぼやっ」と幸福を求めています。

具体的には、どうなれば幸福なのでしょう。

私たちの幸福とは気分がいいこと。気持ちがいいことをさしているようです。

でも、それらは一瞬のことで、川の流れのように瞬く間の過ぎ去っていきます。

すると、また求めます。その繰り返し。

ずっと追い求めているように見えますが、実は逃げているようにも見えます。

そうなんです!そこには考えもしなかったトリックがありました。

三つの真理は道筋・ガイドライン

アサーティブ

仏典では、三つの真理が説かれています。

  1. 悲しみは全てにやってくる。
  2. 永遠のものは何もない。
  3. 『我』さえも常に移ろっている。

このような世界で「『し合わせ」」は続かないと誤解しそうですね。

そこで仏教では、四苦八苦の世界と折り合いをつけるために、気づきと智慧を大切にしています。

どういうことでしょうか?

気づきと智慧がガイドするのは「無我無心」への道筋です。

気づかず、智慧が働かないと潜在意識の泥沼から出ることができず、邪念や我欲に執着してしまいます。
これでは、やがて不幸に見舞われてしまうということです。

無我無心といいますが、なかなかなれるものではありません。
そこでブッダは悟りを開いたというように言われることになります。

ブッダは、どうすれば無我無心になれるか、
到達するために気づきなさい、智慧を働かせなさい、こうしたらできますよと「道筋」を示しました。

だから広まりました。俗にいう「宗教」ではないですね。「哲学」です。

意識せずに我を捨てる

気づき

マインドフルネス状態になるというのは、「意識しない」状態です。
目的は「我を捨てる(忘れる)こと」です。

そのために呼吸に集中しなさい、あるいは歩いていて足の裏に集中しなさいといいます。

瞑想は座ってするものと思われていますが、必ずしもそうではない。

どこでも、どんなときでも、できるということです。

「それを意識しないこと」「我を捨てること」が大事なのです。

その邪魔をしているのが、「考えてしまう」という人間の「くせ」です。

無になれと言われて、座っていたら、いつの間にか次から次に考えてしまいます。
無になるどころか、頭のなかは次々と浮かんでくることでいっぱいです。

瞑想はトレーニング

気づき

無我になろうとすればするほど、意識してしまいます。

自分の意見を伝えようとすると、自分の意見を意識してしまい言えなくなるのと同じですね。

そこで座禅では「呼吸に集中しなさい」と注意を受けます。

そもそも瞑想という行いは、わざわざ「考えてしまう環境に身をおいて、無になれ」という相反したことをする修行です。

無になればどうなるの

無になればどうなるの?

それにしても「無」になれば、どうなるんでしょう?
「人の幸福」を実感できるので、悩まずにいきることができるのです。

そこで「人の幸福」の定義づけが必要になります。

知って「そんなの『幸福』とは思えないよな」とならないように、教えているのが「経典」つまり教科書なんですね。

お経は講義なんです。聖書も教科書です。

ただ仏教は宗教と違うのは、仏教では、一般の人々が仏陀になることが期待されています。
仏教には、「仏陀の教え」 「仏陀になるための教え」の2つの意味があります。
これが仏教の大きな特色です。

他の宗教では「唯一の神」がいて、キリストになることを期待されることはありません。
ただキリストの教えを実践することは期待されています。

マインドフルネスとアサーティブ

WIN-WIN

アメリカで流行になった「マインドフルネス」はストレスの低減が目的になっています。
「なにも意識しないこと」「我を捨てること」が脳に良い影響を与えると言われています。

アサーティブ、アサーションは「自分を大事にしましょう」という考えを大切にしています。

「我を捨てる」と逆ですね。

「自分を大事にしましょう」と「我を捨てる」は逆のようですが、実は同じことを言ってるように思います。

「我を捨てる」ことで、「自分を大事にできる」からです。

アサーティブは出口から自分を見ています。
マインドフルネス瞑想(仏教)は入り口から自分を見ています。
そぼ違いです。

アサーティブになれない人は自意識過剰になって思うように表現できないことに対策をアプローチしています。
マインドフルネスは、自意識を忘れて忘れて、そんなもの捨ててしまいなさいとアプローチしています。

両方とも、他者のために貢献することで、回り回って自分に返ってくると主張しています。

持ち物、時間、能力などなど、自分にとってかけがいのないものを他者に与えたとき、それ以上のものが私たちの心を満たします。

心を満たす、つまりマインドフルネスです。
アサーティブ・アサーションも同じです。「積極的に自分にとってかけがいのないものをギブ&ギブしなさい」です。

WIN-WINなのです。
 

まとめ

同じことを主張していることに普遍性を感じることができますね。
それが重要です。

自分を忘れると自分がいきる。

『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』とは、捨て身になってはじめて、活路を見出し、事を成し遂げることができるという意味で古くから使われてきました。自分を大事と思って、我(が)に執着していてはなかなか道は開けてこないという意味ですね。

穏やかなブッダも、戦いに向かう剣士も立場は違っても、同じところにたどり着いたようです。

先に書いた、幸福を追い求めているように見えますが、実は逃げているようにも見えます。の説明はまだしていません。
考えもしなかったトリックは次回ご説明ということで。
 

この記事を書いた人

人生とビジネスこよなく愛するオヤジ。恋愛研究家にしてベッド周りと人生の探求家。
人はなぜ同じタイプの人を愛するのか、人はなぜ同じことを繰り返し、同じ失敗を繰り返すのか、その謎と原因を知り尽くした「専門家」、膨大な体験と研究でズバリ安心と『し合わせ」をお届けします。特に「まだまだ初心者さん」にやさしい提案を心掛けています。

一般社団法人いきいきゴエス協会理事にして「ビジネスコンサルタント」「整理収納アドバイザー」「ライフスキルコーチ」「ライフデザイナー」「ファイナンシャルプランナー」「スリープアスリート(睡眠マスター)兼「当ブログ管理人」兼「ベッド専門通販ショップ店長」の愛ピ(Naoman)です。

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