ライフスキルとアサーティブの歴史

コーチングとアサーティブの歴史 アサーティブネス
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小さい頃、恥ずかしがり屋さんで、お菓子なんかをもらうとお母さんの陰に隠れれてしまうことはありませんでしたか?

そんなあなたを見て「この子は恥ずかしがり屋さんなので」と言いませんでしたか?
ラベルを貼られてしまうことでますます恥ずかしがり屋になっていく。

アサーティブ(積極的な自己表現)とライフスキルは深い関係があります。
ライフスキルの不足が自分を十分に相手に伝えられない難点を引き起こしますが、結果的に自分だけでなく相手を傷つけやすいことになります。

アサーティブを理解するために、今回はアサーティブの歴史を辿ってみます。

ライフスキルでアサーティブに自分を動かす
コミュニケーション能力をアップする上で重要なのは、自分の意見を率直に言えるようになることです。アサーティブ・トレーニングを意識していきましょう。アサーティブとは積極的に自己表現すること。ここではアサーティブ・トレーニングのために13の要素をご紹介します。

アサーティブの歴史をアメリカ文化で紐解く

アサーティブ

アメリカで、アサーティブ」の概念が広まったのは、ベトナム戦争、ウーマンリブ以降です。

1959年、ハーバード大学のマイルス・メイスが、その著書『The Growthand Development of Executives』において「マネジメントの中心は人間であり、人間中心のマネジメントの中でコーチングは重要なスキルである」と発表したことから、スポーツさらにビジネスの世界に広まっていきました。

この時期のアメリカは、黒人音楽をベースにした白人音楽であるロックンロールの誕生という一大ムーヴェントによって、それまで閉ざされていた人種問題がアメリカ全土で顕在化、キング牧師公民権運動、ウーマンリブなど人権問題が相次いで火を吹いた時代です。
さらに大きな背景には広島・長崎への原爆投下、米ソ冷戦への恐怖に対する国民の不安があります。

目標が立てられない、コミュニケーションがうまくできないを解決する
「親しさとは、人権を軽く扱うことではない」・・・・これがコミュニケーションの基本です。親子の関係を考えていただくと、よくわかると思います。虐待には、これがないですよね。コミュニケーションの土台は、「信頼」です。コミュニケーション能力をアップする早道は自分への信頼です。ライフスキル(=EQ)は信頼力をアップすることから始まります。

区別=分離すれども平等のまやかしを超える

分路すれど平等

アメリカ 1896年。

当時、白人の乗っているバスに黒人は乗れませんでした。
白人と黒人はいろんな場所、住む場所、電車やバスなど交通期間、レストラン、トイレなどでも同じで明確に区別されていたのです。
アメリ最高裁が下した「分離すれども平等」という考え方は人種差別待遇は憲法に違反しないと判決を下しました。
「分離すれども平等」とは、白人と黒人を分離して暮らす体裁をとっても、差別していることにあたらないという解釈です。もちろんまやかしです。
この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかったのです。

1954年には「ブラウン裁判」が行われました。
「ブラウン裁判」とはカンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判です。

実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれます。

全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしであった「分離すれども平等」の判決を覆すという歴史的な結果となります。

しかし、この判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレート。
KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになりました。

公民権運動というチャレンジ

公民権運動

1955 年12月。後に公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスという女性が、アラバマ州モントゴメリーの市バス内で席を移るよう求めた白人男性に敢然と拒否、バス運転手の通報で駆け付けた警官に逮捕され、収監されました。

「もう我慢しない」と決めたローザ・パークスの 事件をきっかけに、当時ほとんど無名だった故キング牧師を中心とした長期間の抗議行動に発展。

翌58年に米連邦最高裁が差別は憲法違反とする判断を下しました。

白人社会への黒人の対抗が強くなる一方で、1954年、黒人音楽であるゴスペルやリズム&ブルースをベースにした白人によるロックンロールが大衆音楽に誕生します。

「エルヴィス登場」という事件


1956年には、

その原動力になったエルヴィス・プレスリーが登場します。
白人でありながら黒人のように歌う彼のパフォーマンスはアメリカ全土の若者を熱狂させました。
所属するレコード会社だけでは生産が追いつかず、ライバル他社の工場を借りなければ需要に追いつけない異常さは、文化を変えるに十分な威力がありました。

その一方では、プレスリーが歌ったクリスマスレコードをオンエアしたDJが解雇されたり、レコードが焼き尽くされたり、コンサート会場の貸し出し禁止などが相次いで起りました。

現在、黒人ブルースの大御所として広く知られているB.Bキングは、当時まだ無名でしたが、黒人だけの音楽会にエルヴィス・プレスリーが


白人としてたったひとりで参加した勇気をいまも称賛しています。

白人も黒人も若い世代は、古くから続いて来た「白人と黒人を分離する習慣」にどう対応していいのか想像できなかったのです。

長く続いた習慣によって、身近に友人や知人がいた場合のを除けば、話したくても、なにをどう話していいのか分からないのが現実だったのです。
しかし世の中は従来の価値観から変わりはじめていたのです。

相次ぐ暗殺という障壁を超えて

メンフィスのビールストリート

そして、1963年8月28日、黒人の公民権運動のために「私には夢がある」と訴え全米の黒人の心をひとつに束ねたマーティン・ルーサー・キング牧師率いる20万人のデモ行進がワシントンで行われます。
全米に広がった抗議によって白人社会からも賛同が起こる一方、白人からの弾圧を受けることで、黒人暴動という形で広がっていきました。
米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えた35代大統領ジョン・F・ケネディ暗殺事件が発生。
さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、68年にはケネディ大統領の実弟ロバート・ケネディが大統領候補指名選キャンペーン中に暗殺、同じ年、キング牧師暗殺、その2年後、北アイルランドでも公民権運動が起こります。

アサーティブのはじまり

人は誰でも自分らしく生きる権利があるとするアサーティブの考えと行動は、黒人差別に対抗したこの公民権運動にはじまり、やがて女性差別に対抗した1970年代の女性解放運動、さらにベトナム戦争反対運動に引き継がれました。
かってジャック・ケルアックエルヴィス・プレスリーが若者の代弁者の役割をしたように、モハメド・アリ、グレートフルデッド、ボブ・ディランビートルズら、親しみやすい大衆文化を通じて影響を与えることで価値観は変容し、いまに継承されています。

黒人も白人と同じ権利を持っていいのではないかという主張は、白人を否定するものでもなく、互いを肯定的に受け入れる主張です。男女平等も同じです。
黒人あるいは女性が白人や男性より劣っていると決めつけ、能力の値引きを行い、不安にさせ、依存させる仕組み。

お前は自立できないというメッセージとさせないルール=つまり搾取の仕組みを拒否するのは、ある意味、とっても勇気のいることです。

人は誰でも、 誰かに強要されたり、抑圧されることなく、自分を認め、同時に周りの人も認め、自分の考えや 感じ方を率直に、積極的に表現することが許されています。
自分の将来、ライフスタイル、スケジュール、人間関係を自分自身で決定する能力を積極的に持って表現するようにするのがアサーティブです。

 

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