自分の本意ではないのに、言い出しにくて、とった間違いで苦しんでいませんか?
自分の意見を言わずに、「みんなが・・・・」「誰々が・・・・」「会社が・・・・」という言い方をしていませんか?
他の誰かを利用して伝えようとする行動は間違ったコミュニケーションです。
その奥には本当の自分の気持ちが隠れています。
どんなコミュニケーションをすればメリットがあるのか、デメリットがあるのか。
整理して、一貫性のあるコミュニケーションそ心がけたいですね。
「一貫性」を大切にしたコミュニケーションを心がけたいですね。
コミュニケーションの基本は「一貫性を貫く」
コミュニケーションに於ける「一貫性」とは、「いつも」同じ言動をすることです。
たまに素晴らしいことをするのではなく、「いつも」素晴らしい言動を貫くことは置き換えできないあなたの信頼になります。
コミュニケーションの起点は「私もOK、あなたもOK」
意見として聞く。
決して人格と意見や行動を同一視しない肯定的な人もたくさんいます。
見習うならそちらを見習うようにしましょう。
自分と他者に肯定的な人は、自分も相手も弱者とは考えません。
ですから自分の意見を率直に伝えることにあまり躊躇しません。
意見が違っても人格を否定するわけでも、されるわけでもなく、意見はあくまで意見にすぎないと思っているから積極的に意見として伝えます。
余裕とも言える態度の根拠はどこから来るのでしょう?
私もOK、あなたもOK・・・という自他ともに肯定する心構えからくるのです。
不快感の表現
とりわけ不快感の表明は、一貫性を貫くうえで難しいものです。
しかも不快感はいつどこで生じるかも分かりません。
そんなとき、「それをされると、私は○○○○になるので、申し訳ありませんがやめてもらえませんか」と言葉にしてもいいのです。
でも大抵の場合、失礼だと考えます。
そこでやってしまうのが、相手に気づかせるように期待した態度での表現です。
これは言葉よりも更に失礼な結果になります。
「失礼だから」と理由づけをしていますが、実は自分がイヤな人間だと思われたくない自分を優先したトリックが潜んでいます。
このトリックで、気づかない相手が悪いと批判に転じます。
「私、気配りしているいい人、相手、気配りが分からない悪い人」という構図が完成します。
「失礼だから」という気持ちとは裏腹に、最初に一方的に相手が悪いという決めつけがあるので、こじれます。
なぜでしょう?
自分の権利を自分が認めていないために、被害者意識からスタートするしかない状態を自分が作っているのです。無理もないのですが。
言葉で表現できる人は、自分の権利を自分が認めています。
同じように相手にも権利があることも認めています。
「それをされると、私は○○○○になるので、申し訳ありませんがやめてもらえませんか」と打診しています。
それが自分の限界です。
言葉を受けて、相手は相手の限界に向かい合います。
自分の良識と良心に従った反応をします。
自分は訴えたけれど相手は聞き入れなかった。
その挫折は自分の挫折ではありません。相手の判断なのです。
だから感情的になる理由もないのです。
アサーティブな態度をとった場合「失礼だから」と理由づけによる限界、境界の混乱はありません。
アサーティブなコミュニケーションを心がける、
「失礼だから」態度で伝えようとした場合は、こうはなりません。
イエスの確率も悪くなりますが、ノーの結果が同じでも、双方に感情のこじれが生じます。
自分の不快感を行動で相手にぶつけると、相手は怒っている理由が判らないままイヤな気分にさせられます。
相手にも不快感が生じて、不快感の競争のようなことが起こります。
一貫性で自分を高める
電車で足を踏まれた。自分は嫌な気がした。腹が立った。
しかし相手は悪意がない。
このような時に一般の人は相手に怒りをぶつけませんよね。
一貫性を育むために、いつも同じ態度で育んでいくのは
感情的にならないための心構え
- 自分を知って他者との違いを知る。
- 他者と共感することも目標のひとつ。
- 主語「わたしは」を使う
- 意見や価値観を伝えることで違いを知る。
- 違いを知った上で、共感できないか探る。
- 互いの意見や価値観を尊重する。
- 尊重していても、合意する場合もあるし、しない場合もある。
- 合意できない点について、互いに自分の意見を伝えあう。
- 目的を共有する場合は、プロセスに違いがあっても最善を求める。
一貫性のあるコミュニケーションを選択する際に、上記の態度は参考になります。
自己受容ができていないとこじれやすい
自信がない、つまり自己受容ができていないと、意見を否定されたら、自分が否定されたと思いがちです。
そこで意見を言わないか、主語を使わず誰の意見か分からない方法をとります。
しかし、意見を言ったために自身が否定されることは、あってはいけないことです。
万一、そのような体験をしてきたというなら、共感できない否定的な人たちの間にいたからです。
これは自分を知る大きなチャンスです。
自身の人生全般について予め定められた運命の物語には、クライマックスが用意されていて、無意識に突き進んでいます。
運命の物語は、自分が無意識に決めたもので、後天的に身につけた知識で描いたものではないからです。物語はコミュニケーションで描かれているのです。
コミュニケーションでトラブル人は、大きなデメリットを時限爆弾のように内包していると言えるので、注意しましょう。
人生のクライマックスでこじれやすいので、コミュニケーションの在り方を見直すことがメリットになります。
まとめ
人は同じことを繰り返しながら、その特徴を強化していきます。
すでに答えが出ているのですが、都度、そこまで深刻なものだとは考えません。
ヒントはすでに好ましくない「一貫性」に出ているので早くキャッチして、ライフスキルを整えることをおすすめします。