アサーティブ「我を忘れて没頭する」はON/OFF自在にできてこそ素敵。

アサーティブネス
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アサーティブ、アサーティブのコアと言えるスイッチチェンジができていますか?

「我を忘れて没頭する」はON/OFF自在にできてこそ素敵です。

たとえば酔っ払って暴行、酔っていたので記憶にありません。」これは醜いですよね。

「我を忘れて没頭する」挙句、スイッチチェンジできないのは、自立できていないからです。

自立できていない人は恋愛も仕事もうまくいきません。なぜでしょう?

ここでは「自立」について考えてみましょう。

自立している私になる

「自立している」とは「自分で立っていられる」ということですから、仕事や恋愛の状態に関係なく、外的な条件に左右されないことです。

何かを得たからといって喜ぶこともない。失ったからといって悲しむこともない。うまくいかないからといって落ち込むこともない。

感じないわけではないが、外的な条件に自分が左右されるなら、仕事であれ、恋愛であれ、自分はそれらに従属するだけの者でしかない。

「本末転倒」ですね。

心の自由を執着心が奪っていく

もし、執着心がなく、仕事がうまくいった喜びを同僚と分かち合っていても、叶った恋のよろこびを相手と分かち合っていても、その瞬間に、その場を離れることができるなら、心は自由です。

率直・誠実・対等・自己責任の四本柱でアサーティブなコミュニケーションが自在にできます。

もし、そんなのはおかしい、薄情だという人がいたとしても、それを受け入れることはありません。

なぜなら、その場に留まりたい「もっと、もっと」となった瞬間に、執着心が露わになり、率直・誠実・対等・自己責任のアサーティブな四本柱は朽ちてしまい、清々しい気持ちは消えてしまいます。

いつも彼・彼女が去ってしまう根本的な原因

大好きな彼との時間が楽しくて「もっと、もっと」とすがるようになると、彼は去ってしまします。
理由は簡単、彼はあなたを愛してはいても従属したいとは思わないからです。

自分が本来できることをしない人は、このシンプルな構造が解らないのです。

 

いかなる場合でもアサーティブだから輝ける

では、いかなる場合でもアサーティブであるためにどうすればいいのでしょう。

アサーティブの翻訳である「積極的自己表現」とは、相手を打ち負かそうということではありません。

自らが本来の自分を表現することです。

言葉のみならず態度・表情も含めて本来の自分です。

否応なしに自分を客観視できることが条件になります。

自分があって物事が進んで行く

アサーティブネスとは、何かに従属する自分ではなく、自由自在に自分を使える状態です。

自分があって、自分に仕事や恋愛を従属させるポジションです。

アルコールに振り回される自分ではなく、たしなみ楽しむ程度の自分です。

「我を忘れて没頭する」ことは素敵です。
自由自在に自分を使える状態とは、「あっ時間だ。」と平常心(ニュートラル)に戻れる。
アサーティブに自己表現できる自分とは、心地よさに溺れない。悪い場合も同じです。

自由自在だから自立できる。率直・誠実・対等・自己責任のアサーティブな四本柱で自分を支えることができるからです。

まとめ

人は誰でも「快いこと」が好きです。

快いことのために暮らしている」といっても過言ではないでしょう。

でも「なにがどのように快いのか」を深く認識して、自分の意識に置いていないとわからなくなる可能性があります。

TVコマーシャルは、長年研究に研究を重ねて、トリッキーな仕掛けをしています。

自分自身でさえ、自分を欺く仕組みを作っています。

「なにがどのように快いのか」を深く認識して、人生100年時代を実りある人生にしたいですね。