「一粒万倍日&天赦日』が8月4日にやってきます。ヒトはそれぞれの人生脚本の束縛から逃げようとしませんが、一部の健全な脱獄囚は、さっさと見切りをつけようとします。人生をわが手に引き戻すヒトにとって、「一粒万倍日&天赦日』は新しい人生をはじめるのに、これ以上ない日になります。
一方、せっかくのチャンスだけど、Shohei-Chartを使って何をしたらいいのか、まだわからない場合、次の質問に答えてください。
- 行きたいとこに全部 行った
- 会いたいヒトには全部あった
- 考えられるすべてのアイデアを出して、形にして、成果も出した
- ワクワクドキドキは全て体験した
- 課題はすべて達成した
- 心残りはなにもない
- 思う存分やりきった
- 大切なヒトにどんなふうに大切に思っていたか全て伝えた
- 心残り、後悔はあれば、全力で再考してみる
- 乗り越えるもの、解決したいことは全て成し遂げた
以上で成し遂げていないことがあるなら、Shohei-Chartで成し遂げることです。
なぜならチャートのど真ん中にあなたがいるからです。
あなたは宇宙があなたの人生に与えた「太陽」だからです。あなたが輝かないと人生に光はさしません。以上は、Shohei-Chartについて語ったことですが、ウェルビーイングとも密接な関係があります。ウェルビーイングの概念はわかるけどなんとなくわからないという疑問もクリアします。
マインドフルネスでない人生は疲れる
Shohei-Chartとウェルビーイングの関係で気づくことは、両者には人生を根底から覆す可能性に満ちていることです。
Shohei-Chartのど真ん中に入る目標とはあなたそのものだと理解することです。
ほとんどのヒトは、いつの間にか目標だけが一人歩きしていることを忘れています。
目標を立てた張本人が自分だと忘れて、目標を達成しなければいけないと躍起になるのです。
あなたがマインドフルネスであることが重要であって、目標はマインドフルネスになる装置でしかありません。マインドフルネスとは、対象があなたでいっぱいになることです。たとえばお茶碗に入ったごはんに対してマインドフルネスになることは、あなたがごはんそのものになり、お米になることです。お茶を飲めばお茶になり茶葉になります。その瞬間、どこにも、あなたはいないのです。だから正確には「いただきます」ではなく「入ります」なのです。
マインドフルネスでない人生、こころが満ち足りない人生は得体も知れずとにかく疲れます。
無意識はこれを避けようと刺激を求めますが、こころが満たされないので刺激を求め「何か」を楽しみに待ちますが刹那的です。
その「何か」はすでに主体性を失っているので、「なにか」がやってきても、実際のところ、心底からでないので、嬉しくもないので長続きしません。
なのでより強い刺激を求めますが、刺激を与えられるのは自分しかいないのです。
Shohei-Chartもウェルビーイングも、マインドフルネス同様に「何か」に入る装置で、その中心に「あなた」がいます。Shohei-Chartには、「目標」という「あなた」がいて、ウェルビーイングには「しあわせ」を共有した「あなた」と「誰」かがいます。しかし入っているときに「あなた」が「あなた」を感じることはありません。マインドフルネス同様に入った対象に「なりきっている」ので感じることはないのです。因みに一粒の豆になりきるには一粒の豆を味わい尽くさないとなりきれません。一粒の豆を食べてみてください。あなたはいなくなります。
なぜマインドフルネスになれないのか
では、なぜこころが満ち足りないのでしょう?
心底からやりたいことに向き合っていないので「これでいい」と思えないからです。「これでいい」と思えないのは、考えすぎて、やりきっていない、入っていないからです。
たとえば禅では、評価しないことを前提に「座禅』を行います。良いとか悪いとか判断せずに、ただ、あるがを受け入れる。禅寺の食事も同じです。美味しい、美味しくないと決め付けず、素材に感謝していただく。食べている間は味を堪能するために黙食する。
マインドフルネスな思考法には3段階あります。
- 気づく
- 手放す
- 集中する
「手放す」ことから「ウェルビーイング」が起動する
ミニマリスト化する必要性は、家の中がモノで溢れて住みにくいと感じてからです。
「もっともっと」という執着心のなれの果てです。
見下し、出し抜き、奪い合う、「もっともっと」で見失ったのは、「家族への真実の愛」が抜け落ちた空洞化した家族です。
日本は明治維新以来、諸外国に追いつけ追い越せでやってきましたが、「もっともっと」で家族関係がおかしくなってしまった家族に凝縮されているのではないでしょうか?
禅の言葉に「放下著」があります。意味は「「いっさいを捨て去ると全てが生きる」という禅意味です。得ようとしても得られないが手放したらまなべることもあるのです。
▼呼吸法でも有名な白隠禅師の真似はできないまでも、こころの指針にしたいものです。
手放したあとは集中です。刹那減を集中によっていまこの瞬間を父親になりきって生きたのです。
白隠禅師が、やったことのない育児に集中して、赤ちゃんを育てたように、一切の期待をせずに目の前のいのちを守り抜いたのです。長年の厳しい修行をものともしないで、世間から後ろ指を刺されても、他人の子であることを云々せず、ヒトはいろいろという現実とお互いのあるがままを尊重して、ただ赤ちゃんのために潔く受け入れたのです。
さらに実の母である娘が赤ちゃんを引き取りにきたときに小言をいうわけでもなく何もなかったかのように「おお、そうか」のひとことで赤ちゃんを返すあたりに、白隠禅師の真髄があります。
結婚もしていないのに、愛する男性の子を身籠って、怒っている親に告白することもできない窮状を察して、「おお、そうか」で子の父親にさせられた白隠禅師の心には『善の巡環』が見えていたのでしょう。
犠牲部分まで真似する必要はありませんが、この白隠禅師のあり方こそウェルビーイングです、
ウェルビーイングの魔術
ウェルビーイングとは、古い歌謡曲の歌詞にあるように、信頼できるあなたが、そばにいてくれるだけでいいのです。
黙っていてもいいんだぷ
僕のほころびぬえるのは
おなじ心の傷をもっ
おまえのほかにだれもない
そばにいてくれるだけでいい
つまりウェルビーイングは、ただそこにあればいいのです。
ただし「信頼」という意味では「相互依存の関係」でなければなりません。「相互依存の関係」とは、お互いの異なる部分や、好きな部分以外のところも許容し合い、認め合っている状態を指しています。 しかし、特別な能力の提供を求めているわけでなく、歌詞の内容に照らしてみると、「僕のほころびぬえるのは」なのです。そばにいるだけで、ぬえてしまえるのです、ウェルビーイングの魔術です。
相互依存の関係を築くには、唯一無二の存在であるのが確実です。そこで冒頭の自問自答でによるShohei-Chartのトライです。ヒトは誰でもやり残していることがあるものです。なにかに従属するのではなく、主体的に自分の人生のある場所で生きようとしたら、後悔しないようにしたいものです。結果ではなく、主体的に生きようとしているマインドフルネスな姿が信頼の基盤になり、そこから滲み出る信頼がウェルビーイングに発展します。
ウェルビーイングの真髄
まだ起こっていない楽しみ。これがウェルビーイングを理解するうえで重要なポイントです。
これから起こることにヒトは期待し、これから起こる予測不可能なことへの期待にウェルビーイングの真髄があります。
日本は人口減のトレンドをひたすら邁進しています。なぜでしょう?女性にとって、仕事・結婚・出産・育児の四重苦という予定調和の道を突きつけられて、その上「女性が活躍する時代」と言われたら、窒息してしまいます。ヒトは選択肢があり、自己決定権があれば元気に意欲的になれるものです。
1999年に男女共同参画社会基本法が制定されて20年以上が経過しました。
男女共同参画社会とは男女の立場を対等とし、性別に縛られず、一人ひとりの個性と能力が発揮でき、あらゆる分野で互いに意見を出し合い喜びや責任を分かち合う社会です。 この男女共同参画社会の実現は、女性の人権の確立とともに高齢化、少子化、環境問題など社会が直面しているさまざまな課題に対応し、活力ある社会を作る大きな鍵なのです。
しかしこの間、女性の苦難は増える一方です。基本法は女性が生き生き暮らせる社会を後押しする種子ですが、現実は苦しめるものでしかないのには、ウェルビーイングがどこにもないと感じる現実です。
男女共同参画社会基本法に欠けているのは、
- 予測不可能な未来を選択できる
- その支援をする白隠禅師のようなウェルビーイング
「YouTuberになりたいんです」
予測不可能な未来を選択したいヒトには「YouTuberになりたいんです」という方も多いはず。専門スキルをつけるにもどういうスキルが必要なのかもわからない状態ではどこから手をつけていいのかわかららないものです。
まずブレインストーミングでShohei-Chartの第一稿を作れば、そこから、どんなスキルが必要なのかわかってきます。
Shohei-Chartの第一稿からはじめる。
つまりひとりで、ブレインストーミングができてしまうのです。
ブレインストーミングとは、一種のアイデアを生み出す「集団発想法」手法 であり、複数人で会議の際にアイデアを出し合ってブレストを活用して、アイデアや発想の整理する事をメインとして活用されています。
ブレインストーミング
「全部の項目を順番に書き出してみるとこんな感じですね」
中心にキーワードを置いてそこから8方向に思いつくアイデアを広げてみます、
思いつくままに発想を広げていきます。楽しいのでワクワクしてきますが、不足する課題も見えてきます。
事前にブレインストーミングで項目を挙げているので、それほど時間がかからずにマスを埋めていくことができます。
「全部の項目を順番に書き出してみると上の表(サンプル)のようになります。
中心にキーワードを置いてそこから8方向に思いつくアイデアを広げてみる
「全部で8枠あるよね。キーワードが6つあり、あと2枠はどうする?」
「あと2枠は『情報を発信すること』と『情報を収集すること』にしてみましょうか」
中心にキーワードを入れます
思いつくままに発想を広げていく、これは楽しい。
事前にブレインストーミングで項目を挙げているのでそれほど時間がかからずにマスを埋めていくことができるのでやってみてください。
『前に踏み出す力」
「前に踏み出す力」には、主体性・働きかけ力(巻き込む力)・実行力3つの要素が必要です。この『前に踏み出す力」をウェルビーイングに結びつけている企業が富山から世界に発信しているYKKです。
顧客に合わせた1to1の個別のマーケティングを実行しているだけでなく、1934年に富山でYKKを創業した吉田忠雄氏が掲げた企業精神「善の巡環」つまり「事業活動で得た利益を自社だけのものと考えない」利他の精神を地域社会でも実践しています。
つまり個人であれ企業であれ、何のために、なぜ、前に踏み出すのかが大切なのです。
吉田忠雄氏が富山県黒部市で起業したのは、「水」がアルミ製造に欠かせなかったからです。そして“他人の利益を図らずして自らの繁栄はない”という『善の巡環』の精神がありました。水だけでなく地域の方々の理解や協力・支援と製造に欠かせない黒部の自然環境の恩恵があったからだと背骨のように創業の精神が脈々と流れいています。それが黒部市にある旧社宅跡地にパッシブタウン(都市生活と、自然の中での暮らしがひとつとなったライフスタイル)の開発に活かされています。
持続可能な社会にふさわしいまちと住まいを社員だけでなく地元の人々にもウェルビーイングな試みとして提案しています。仕事・結婚・出産・育児の四重苦という予定調和の道から女性を救い、前に踏み出す地力と自由な選択としてウェルビーイングな試みといえるのではないでしょうか。
事業活動の中で発明や創意工夫をこらし、常に新しい価値を創造することによって事業の発展を図ることが、お得意様、お取引先の繁栄につながり、社会貢献できると考えたのです。 このような考え方を「善の巡環」と称し、常に事業活動の基本とされたのです。
つまり、唯一無二の信頼とは必ずしも打つ手が成功を要求しているのではなく、途切れることなく、常に価値創造に懸命の努力をしている姿であり、それが伝わってくることが「信頼」の大切なのです。
果報は寝て待て
Shohei-Chartのブレインストーミングで第一稿を作れば、これでは無理だ、もっとも必要なスキルが必要だと分かってくるので、二稿、三稿・・・・と書き直しが必然になります。つまりShohei-Chartは計画に練り直しを要求してきます。Shohei-Chartは計画会議の役割を果たしてくれるます。ひとりで、ブレインストーミングができてしまうのです。
出来上がったShohei-Chartをマインドフルネスの状態で実行すれば『Shohei-Chart+マインドフルネス=ウェルビーイング』でウェルビーイングの魔術が花開きます。訳は簡単。ただ側にいればいいからです。但し、この側加減が重要です。
そこで参考にしたいのが白隠禅師のように、あるがままをそのまま受け入れ、白隠禅師が困窮する人から嵐が過ぎ去るのを待って、本来あるはずの主体性から「前に踏み出す力」を引き出し「善の循環』を応援するウェルビーイングな態度です。
「果報は寝て待て」は、「自分にできることをしたら、あとはどうすることもできない。焦らずに良い結果が出るのを待つ」こと。自分の行いに応じた結果が返ってくることが前提で、結果が出るまで焦らず待ちなさいという意味です。似た言葉である「待てば海路(かいろ)の日和(ひより)あり」もそうですが、「悪いことが続いていても、待っていれば良い日がやってくる」という意味です。両方に共通しているのは、やれるだけのことはやって、放下著する心(一切を捨てる心)つまり執着しないことです。そこにあるのは自他を問わない、阿吽の呼吸ではないでしょうか?
主体性、「前に踏み出す力」を動かしているのは、Shohei-Chartによる計画とマインドフルネスな実行の両輪です。
まとめ
まだやっていないことをやっていない理由に、挫折が怖い、執着を手放せないことがあります。念入りなブレインストーミングで整えて、やるだけやって、うまくいかなければもう一度やり直したらいい気軽さで、どんどんトライ&エラーすることです。
その必要が顕著なのが「環境問題」です。現在の異常気象に最初に広く警鐘を鳴らしたのはアメリカの女性生物学者が書いた1962年の世界的ベストセラー「沈黙の春」(レイチェル・カーソン著)でした。「沈黙の春」とは、化学物質を何の規制もなく使い続ければ地球の汚染が進み、春が来ても小鳥は鳴かず、世界は沈黙に包まれるだろうという意味。賛否両論があり、難しいから置いておくで60年が過ぎました。ヒトはわからないことには手を伸ばさず、ゆっくりながら改善は進みましたが、地球は我慢できず異常気象になって猛威を奮っています。
ゲンキポリタン大学
「社会人基礎力」(全6回)
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- 社会人基礎力①12のの能力要素
- 社会人基礎力②前に出る力を育てる主体性と8つの基準
- 社会人基礎力③考え抜く力を育てる思考法
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コラム
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