ダラダラ食べ続ける子どもを救い出せるのは親の文化です。

心の飢餓と使いきれない能力の不安 子育て
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最近の子どもは少食で、その代わりダラダラといつまでも何かを食べていて虫歯で困っていると嘆くお母さんが多いようです。

Naoさん
Naoさん

そんなお悩みはありませんか?

そこには退屈から抜け出すことがあります。ところが子どもには具体的にどうしたら良いのか、具体的な方法がわかりません。学校の勉強より切実な課題ですが、親から言われるのは「勉強しなさい」だとしたら解決策にはなりません、

心の飢えをしのぐために食べている子どもが多いようです。つまり生活が正しくないのです。正しい食事は正しい生活を築きます。子育ての失敗をしている警告です。

学校の勉強に集中するには、言い換えると自分の存在を許されるためには、長く暗いトンネルのような自分の課題の解決が大事なのです。子どもにとって親はスーパーヒーローです。言葉にできない悩みを汲み取って解決してくれると期待しています。

この期待を裏切ると他者に求めざるを得なくなり、トラブルという形で解決を図るようになります。親は「ちょっと待て!」ということもないままその時を迎えることになります。

原因は心の飢餓です。

心の飢えをしのぐために食べている子どもが多いのです。
つまり寂しい、物足りないのです。これって典型的な依存症のパターンですよね、

何もない状態で退屈する不安を考えたことがありますか?
お母さんが、一日中忙しく動いているから、何かあるわけではありません。
疲れているお母さんには何もないことがハッピーです。

しかし!

ヒトは「楽しい時間を過ごす」ことしか考えないものです。実際には他人のライフスタイルを真似しているだけで、想像ほど楽しんでいません。自分のアイデンティティ、文化を意識しなくなるからです。このような日常は子どもには退屈です。私たちは子どものようにイキイキとしている時がいちばん心安らぐのです。

子どもの日常はシンプルです。選択肢も少なく好奇心は旺盛です。自分への注目が十分注がれていたら、心は王様です。では、どうして子どもの心は飢えてしまうのでしょう。

家族の人生のある場所に戻すのは「いま」

原因は「心の飢え」ですから、気持ちが飢えないようにしてあげないと親が気づかない間に依存症体質になってしまいます。もうすでになっていますが、親が日常を注意深く観てここでストップです。

放置しておくと、成人してから、正しい恋愛ができなくなってしまいます。場合によっては一生後悔するようなことにもなります。

先々、たとえば10年後に苦労しないように「いましっかりガードしてあげます
集中力で生活にハリを持たせる工夫をしてあげましょう。

家族を守るために悪い習慣は断ち切ります。
それはいつですか?
明日ですか?来週ですか?
今日ではなく、いまです
一時でも、家族それぞれの人生のない場所に置いてはいけません。
ヒトは瞬間、瞬間を生きることしかできません。
覚悟をもって「いま」してあげます。

正しい生活は正しい食事から。

正しい生活は正しい食事から。

私たちは過去、現在、未来が連鎖して物事が生起していると思い込んでいます。
しかし勘違いです。人生が思うようにならないのは勘違いが影響しています。
実際は「刹那生減」の繰り返しなのに勘違いしているのです。刹那生減とは、あらゆるものは、無数の基本的要素が縁起によって因果関係を結び、存在を構成しています。ただし、その存在は一瞬間だけです。
瞬間的に生起して消滅します。刹那とは時間の単位です。
実際に身体がそうですね。人体は無数の細胞が生まれ変わり続けています。
見えないので実感がありませんが、いまこの瞬間にも無数の細胞が生まれ変わっていて秒速で私はさっきの私ではありません。

だから、私と家族を守るために悪い習慣は断ち切りましょう。

それはいつですか?
明日ですか?来週ですか?
今日ではなく、いまです

他人の人生を歩ませない

一時でも、私と家族それぞれの人生のない場所に住んではいけません。
ヒトは瞬間、瞬間を生きることしかできません。
「いますぐ」覚悟をもって、自分の人生に戻してあげます。

親とは覚悟をもって実行する人のことです。

覚悟とは「覚る×悟る」つまり「さとった」を念押しする言葉です。

それは「正しい食事」からはじめます。食が身体を作るからです。

身体には「自分のすべて」が詰まっています。「健康」とは「心の安らぎ」までを含みます。「ウェルビーイング(well-being)」・・・富山県が県の成長戦略に掲げた概念です。
「いま」すぐに・・・食事を整えましょう。

食事を整える

食事を受け持つのは一般的にお母さんです。しかし思い込み、勘違いしていませんか?
禅寺では「典座」という役職の方が担当します。典座は板前さんのような料理のプロフェッショナルではありません。全く経験なしに、僧侶が心置きなく修行に取り組めるように愛情をもって「精進料理」を担当します。お母さんと同じ立場にありますが、彼らは簡素な食事を芸術的なレベルに高めます。
「精進料理」といってもいまある食材を工夫して作る質素なもので、観光用の「精進料理」ではありません。
食事中、食事に集中するように、テレビはオフにしましょう。

「いただきます」「ごちそうさまでした」は、とても大事な美しい言葉。

きちんと言えば、少量でもお腹も心も満たされます。

お母さんが悩むようなダラダラ食べ続ける子どもさんも少なくなります。

正しい食事は正しい生活。正しい生活は正しい食事。裏表です。
禅寺の僧侶は、「いただきます」も「ごちそうさまでした」も言いません。
その代わりに、五観の偈(ごかんのげ)、折水の偈(せっすいのげ)を唱えます。

五観の偈・折水の偈

僧侶は、「いただきます」も「ごちそうさまでした」も言いません。
その代わりに唱えるのが、五観の偈(ごかんのげ)、折水の偈(せっすいのげ)です。

五観の偈(ごかんのげ)

「観」とは、心の眼で観ることを意味します。
例えば「観」を使った言葉「観光」の本来の意味は、過去の先人が残した光を心の眼で観ると言うこと。「観光」だから、お酒を飲み、いいかげんな気持ちで神社仏閣を訪れる人が多くいらっやいますが、本来の意味を知らないで使っているようです。心得ましょう。

五観の偈とは、食前に唱える食する心構えが示される、五つの短い経文です。

  1. この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。
  2. 自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうか反省します。
  3. 心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、など三つの過ちを持たないことを誓います。
  4. 食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです。
  5. 今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。

作って、食べて、工夫して 料理は習うより慣れるのが大切です。

折水の偈(せっすいのげ)

洗鉢時に唱える偈文です。喝食行者の「折水」と喝するのに合わせて合掌し唱え、洗鉢した浄水を折水桶に投じます。

食禅(じきぜん)

食禅とは、食べる禅です。食禅は、ただ禅の作法で食べるというだけではなく、食べることそのものの意味や食べ物に対する考え方など、とても奥深い学びです。 お粥と胡麻塩と沢庵を、時間をかけて食べる時間は、食物との、そして自分自身との対話でもあります。時間をかけるといってもダラダラではなく、 “食禅” は、禅の食事作法で、修行僧にとっては日常の作法です。

禅では出家しても教えてもらえるものではありません。講座の時間もありますが、追加のようなもので、日常生活は自分で考えて薫習で学びます。薫習とは香が物にその香りを移して、いつまでも残るように、みずからの行為が、心に習慣となって残ること。 つまり自ら繰り返す行動を通して経本の理解を深めることで学びます。

カレーの歴史に見る心の変化

食べる意味

カレーライスを家庭で作られるように日本初のカレー粉を販売したのは、画像のS&B(エスビー食品)です。昭和5年にカレー粉を販売。昭和25年には、敗戦から5年後には「赤缶カレー粉」を販売しました。

この赤缶には、赤と白の間に「国会議事堂」がデザインされています。貧しい食生活を変えようとした心意気が感じられます。昭和35年、高度成長期になると食品メーカーはこぞってカレー粉の販売に乗り出します。昭和40年代後半になると、心の豊かさをテーマにした高級カレーの競争に推移します。
国民食であるカレーを作る赤缶をはじめ、それらの中には今も売れ続けているロングセラー商品があります。習慣の大切さです。

野生動物を含めて、子どもに食べるということの意味を教えてあげられるのは、親の覚悟です。

悲惨な戦争が相次いで起こっていても、テレビは相変わらず一日中、企画と制作コストの安易さから「食べる」ことを放送しているようですが、その癖、本当に食べることの大切を報道していない気がします。食の乱れは生活の乱れです。

デイシャスカレー
最近の子どもは少食で、その代わりダラダラといつまでも何かを食べていて虫歯で困っていると嘆くお母さんが多いようですが、原因は、心の飢え。つまりオリジナリティがなく、他人の生活パターンを真似しているだけで、無意識で、自分の文化を持とうとこだわらない「牢獄のように退屈な暮らしをしている親の鏡になっている可能性を疑いましょう。

もちろん、子どもは無意識ですが、子どもは自分のことなので。鋭い感性で見抜いているのです。

私たちの社会では、ことごとく見せかけの世界で所有するモノと繋がっています。
高価な服、かっこいいマンション、おしゃれなレストランやカフェ、ピカピカの車、こんなものに囲まれて生きることが幸福のイメージでしょうか、もちろん友達が羨むことに肯定感を感じる子どもいるでしょう。

一方でこんな暮らしのために身を投じて忙しくして、自分への関心を持ってくれない親の日常に寂しさを感じていることに戸惑い、我慢し、苛立っている子どもも沢山います。
関心を寄せてほしい理由は、潜在能力を使いこなす能力の使い方です。

あなたなら、どちらの子どもに成長を観ますか?

子どもはみんな親の苦労を感じて悪い罪悪感を持ち、自分のせいだと自分を責めるものです。そのこころを癒してあげられるのは親の態度しかありません。

ウクライナのように戦火にさらされてヒトと違い、「存在する手段が保証されている」と休息の時間をどう過ごせばいいのかわからなくなりますす。

日本人は毎年、世界でも幸せ調査ランキング最下位クラスです。何もない状態で退屈する不安が強いと時間をどう過ごせばいいのかわからなくなります。もしウクライナやイスラエルで暮らしていたら、不安マックスだけど、何もすることがないということはありません。昭和の子どもと比べたらはるかに存在することが保証されています、

私たちは自分の身体と五感とそれらをまとめている意識しか持っていません。たったそれだけですが、潜在能力を使いこなす能力は一生をかけても活かしきれません。
本来、僧侶が座禅とお経と作務だけに集中するのは、そでれも潜在能力は使いきれないと伝えているのです。
だからみなさん、覚悟して人生を過ごしてください。と教えてくれているのです。

良い「気」を放つ物で6つの気づきとひとつの行動で5つの心を整える
人生の達人は、特別な才能があるわけでなく、不安に注目しないので元気です。彼らの特長は、他人の価値観、情報に振り回されずに、余計なモノを処分して、良い「気」を放つモノだけを身近に置いて、6つの気づきとひとつの行動で5つの心を整えて自分の文化を大事にしていることです。

退屈の不安より潜在能力を使いこなすことに人生を費やせ

子どもが寂しいのはお母さんが寂しいからです。命令だけが増えていませんか。
子どもが寂しいのは、お母さんが寂しくて自分に関心が寄せられていないからです。

悲惨な戦争が相次いで起こっていても、テレビは、企画と制作コストの安易さから「食べる」ことを放送しているようですが、その癖、本当に食べることの大切を報道していない気がします。

食の乱れは生活の乱れ。
生活の乱れは食の乱れ。

 

江戸時代、もともと一日三食でなかった日本人が三食にしたのは、体力の消耗が激しい人向けに三食にしたのであって、過去からみんなが三食であったわけではありません。しかも一汁一菜が普通ですから、一菜があったわけではありません。

人生は所有するものではなく、使いこなすものです。子どもの有り余る潜在能力を使い果たすことに手を貸してあげましょう。

人生がつまらなくて、ダラダラ食べ続けるのは「時間つぶし」です、
私たちたちの感性や潜在能力が発展途上のまま、止まってしまう恐怖への不安のせいです。

まとめ

自分への関心を持ってくれない親の日常に寂しさを感じていることに戸惑い、我慢し、苛立っている子どもも沢山います。
関心を寄せてほしい理由は、一生使っても使いこなせない潜在能力を使いこなす能力の使い方です。学校の勉強とどう関係しているのか。先生も教えてくれません。潜在能力が発展途上のまま、止まってしまう恐怖への不安がダラダラ食べ続けることに表れています。

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